第17回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
- 松井浩[聞き手]
- 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。
第17回 サッカー日本代表(3)(2008.11.21 掲載)
――日本サッカー界の歴史を振り返ってみると、ここ10年間で日本代表が強くなったことは強くなっています。W杯に連続出場して、アジアの頂点にも立ちました。その努力と成果は、素直に認めます。
高岡 もちろんです。W杯出場という壁を突破したのですから、そこまでの努力は立派なものですよ。ただ、別の観点からみれば、この10年間、サッカーには国全体の大変な精力やお金、時間が注ぎこまれてきましたよね。スポーツ界どころか、他の分野でも例を見ないほどの精力が注がれてきました。そうであれば、年々、確実に強くなっていかなければいけないと思うんです。
――そういう意味でいえば、最近の日本代表は、やや後退気味という印象ですね。
これだけの精力を注ぎ込みながら納得行く成果が出ていないのは、そこに大きな誤解があるということ
高岡 W杯日韓大会でベスト16なら、ドイツ大会ではベスト8を確実に取れるチームになっていなければいけなかったですよ。そして、次の南アフリカ大会が、ベスト4入りですね。過去のW杯を見ても、ベスト8の常連チームになってからが、本当の死闘になるわけじゃないですか。やっぱり、サッカーというスポーツにこれだけの国民的、国家的とも言える精力が注ぎ込まれてきたのなら、ベスト8の常連になるまでは順当に成長して行かなければいけないですね。それができていないということは、大きな誤解がいくつも重なっていると考えるべきです。
サッカー日本代表が、国民全体の一つのシステムだと考えると、それがうまくいかないということは、システムに根幹的な間違いがあるということですよ。そのミスは何かといえば、誤解。認識のミスですね。
――急成長したといっても、低迷期の歴史も受け継いでいるわけですから、思い違いもたくさんありそうですね。
高岡 私は、武術の極意書や兵法論の研究者でもあって、サッカーの監督などもよく読んでいる宮本武蔵の『五輪書』の研究もしています。一説によれば、最も世界で読まれている日本の書物は、この『五輪書』だと言われていますね。しかし、『五輪書』の内容を詳細に研究すると、サッカー関係者も含めたほとんどの日本人が、『五輪書』について誤解しているのがよくわかります。
――それは本家本元の日本人としては、聞き流すことのできない話ですね。
高岡 それは、ほとんどの日本人が第三巻の「火の巻」ばかりを読むということです。そこには戦術論が書かれていて、局面・要因の分析とそれぞれの対処法が解説されています。しかし、武蔵は『五輪書』の中で、根本となるのは心と身体のあり方だということをはっきり書いているんですね。その根本は、何かというと「水のようになる」ということです。水のようにゆるみ切った心境、水のようにゆるみ切った身体になることが、最も大切だと言い切っている。つまり、その境地と身体に到達した者だけが、「火の巻」で書かれているような戦術が可能になるということです。けれども、ほとんどの日本人は、最も肝心なことが書かれている第二巻「水の巻」を無視して、「火の巻」ばかりに注目するのです。
――つまり、前々回で高岡先生からお話のあったように、自由自在で独創的な発想は、個人の身体能力から生まれてくるということですね。確かに、Jリーグの関係者と話していても、戦術論は盛り上がるんですよ。でも、盛り上がっている時って、たとえば、イタリア代表やマンチェスター・ユナイテッドの選手たちをイメージしているんです。しかし、そのチームの話になると、急にお互いのトーンが冷え込みます。
高岡 本当に、そうだと思いますよ。だから、2、3人で囲めとか、約束ごとを決めるという発想になるわけですね。
――まさに、現日本代表の岡田監督の発想がそうなっていますね。最近も、ゴール前でのパスは、PKエリアの左右の角に出すという話をしていました。しかし、その発想の前提自体に誤解があるということですね。
宮本武蔵は360年も前に、戦術論に先んじて押さえておくべきは心身のあり方だと述べている
高岡 武蔵は、今から360年も前に戦術論に先んじて押さえておくべきことがあると書き残しているんです。『五輪書』でも、「火の巻」の前に「水の巻」を置いて説明して、さらに序論にあたる「地の巻」で、水を根本とするんだと明確に述べています。
――たとえば、野球界には、武蔵のこの教えに従って鍛錬を重ねて大成功した選手もいますね。その代表が、荒川博さんと王貞治さんの師弟コンビでしょう。
高岡 最近でいえば、イチローですね。イチローが武蔵をどれほど意識したかはわかりませんが、身体をハッキリと意識してゆるめていくことで身体能力を高め、メジャーリーグを代表するバッターになりました。詳しくは『武蔵とイチロー』(小学館文庫)を読んで頂きたいと思いますが、特にメジャーリーグでシーズン最多安打の記録を更新した’04年には、心身ともに相当程度に水に近いゆるんだ境地に到達していましたね。それに対してサッカー界は、身体の問題を無視して、一足飛びに戦術論に行ってしまう傾向が強いようですね。武蔵は、戦術は戦術、個人の身体能力は身体能力と別々に見てはいけないよと書いているのに、大変根強い誤解があるんですね。
――現状を見ていると、本当にそのように思えますね。しっかり認識できていれば、すでに身体をゆるめるトレーニングに取り組んでいるはずですからね。また、サッカー界全体の誤解ということでいえば、W杯ドイツ大会の敗因分析もそうでしょうね。日本のサッカー界を代表するライター3人が、『敗因と』という本を出しました。日本代表に密着した様子が書かれているのですが、最後の最後に敗因が分析してあって、結論が「戦う気持ちが足りなかった」です。余りの結論に、カフェの椅子から転げ落ちそうになりましたよ。
高岡 それは、選手や監督、スタッフたちを始めてとする関係者、さらにサポーターたちに失礼な分析だと思いますね。彼らは、戦う気持ちはあったんですよ。だけど、人間の身体というものについて根本的な誤解をしている。戦う気持ちは十分にあるんだけど、それが空回りしたというのが真実でしょう。
――選手本人たちも、こんなに一生懸命やっているのに、どうして思い通りに動けないのだろう、戦えないのだろうと思っていたはずです。そういうもどかしさですよね。
高岡 一番もどかしい思いをしたのは、中田英寿だと思うけど、他のメンバーにしたって、どうして彼らがあんなに不完全燃焼という表情で戦いを終えなきゃいけなかったかというと、結局は、その根本になっている身体というものの機能についての誤解からくるズレなんですね。かみ合ってないんですよ。かみ合った人間の負けた時のすがすがしさ、風が心にも身体にもきちっと吹き抜けていくような表情や姿が、日本選手にはまったくなかったでしょう。
――ついでにいえば、熱心なサポーターの中にも、戦い終えれば、倒れるまで走れという思いが根強いようですね。
高岡 それは、日本代表が思うように勝てないからでしょうね。思うように勝てないから、サポーターにしても気持ちの持っていきようがなくなるんですよ。だって、サポーターって、そこから経済的利益を得られるわけではなくて、むしろ持ち出しですよね。お金も精力も時間も長い間つぎこんでいるわけで、その代わり、心底楽しませてもらうという見返りを期待しているわけでしょう。心底楽しませてもらえない思いを何度も重ねていけば、自分がつぎこんだものによって、今度は自分自身が追い詰められていくんですよ。その結果、そういう思いになってくるのは、当然でしょう。
――私も若い頃はサポーター席で応援していましたので、そう指摘されると、本当にその通りだと思いますね。
高岡 私は、サッカーというスポーツをとても大事に思いますし、ずっとサッカーに注目してもいます。それは、この日本で、本当に多くの人たちが時間や精力、お金をつぎこんでいる種目だからなんですね。だからこそ、サッカー協会の人たちも、そこまでしてくれる人たち、つまりは国家、国民を裏切ってはいけませんよ。その重みをサッカーの選手以上に指導者や協会の責任ある人たちは、しっかり受け止めてほしいと思いますね。
――課題は、明らかなんですよね。身体能力の低さでしょう。しかし、それを克服するためにさまざまな試みがされてきたんだけれど、成果がでていない。
生化学的なレベルから自由度がひたすら深まり、高まり、豊かになるような取り組みをしなければ、世界とは互角に戦えない
高岡 だったら、このあたりで身体をゆるめるための「ゆるトレーニング」に本格的に取り組んでみたらどうですかということですね。生化学的なレベルから自由度がひたすら深まり、高まり、豊かになるような取り組みをしなければ、未来永劫世界とは互角に戦えませんよ。なぜかといえば、世界の超一流選手たちは全員が、まさに組織の自由度の高い身体をしているからです。
――そこをサッカー界の人たちに分かってもらおうと、3冊の本を出版したわけですからね。また、ゆるトレーニングには、驚異的とも言える疲労回復の効果もあります。選手たちは、「ボーッとしたまま、次の試合へ向けて集合場所へ向かう感じです」と嘆く人がいるほど、過密日程で大変な思いをしているようですから、まずは疲労回復という観点から取り入れてもいいですね。
※3冊の本とは、『サッカー日本代表が世界を制する日』('01年10月)、『ワールドクラスのためのサッカートレーニング』('02年7月)、『サッカー世界一になりたい人だけが読む本』('07年2月)。版元はいずれも「メディアファクトリー」。
高岡 そういう選手は、事実上、灰色の気持ちで動いているだけと言っていいですよね。でも、サッカー選手なら、誰もが心の中では「勝ちたい」と思っているだろうし、「代表にも入りたい。代表になって勝ちたい」という気持ちは持っていると思うんですよ。だけど、疲労困憊して、そんな時にはどうなります。
――気持ちばかり焦って、空回りします。
高岡 そうですよね。それは、戦う気持ちがないというのとは、まったく違うんですよ。生化学的、生理学的に疲労に追い込まれていくから、心が自由に働ける状態にないんですよ。
しかし、その一方で、人間には疲労を回復させる体の機能があるんですね。私は、「強回復」と呼んでいるんですけど、それも、とても簡単な作業でいいんですよ。その作業を実行することで、「強回復」のスイッチが入り、それを毎日続けていくと、過密日程の中でもどんどん疲労が回復していくようになります。そうすると、人間はどうなっていくかというと、これは大変重要な話なのですが、サッカーという競技から受ける物理的、精神的なストレスが、今度はフィットネスといって身体を高能力化する刺激に変わっていくんですね。ストレスが、身体を疲労させる元凶ではなく、心と身体を強くしていく刺激に変わっていくんですよ。普段のトレーニングや試合でも同じことで、過密日程になるほど、疲労回復をいかにさせるかが、選手の育成につながっていくのです。このところは、まだ世界でも知られていない、私共による本当に最先端の研究結果です。
――私は、W杯日韓大会で優勝したブラジルに密着していましたが、彼らは激しい試合をした翌日にサンバを陽気に踊っていたりしました。よけい疲れないのかと思うんですけど、次の試合では、また厳しい戦いをタフに勝ち抜いていたんですね。ということは、あのサンバが、ゆるトレーニング的な効果を生んで、選手たちを元気にしていたということですか。
高岡 まさにそうです。ブラジルは、サンバという踊りが文化の中に組み込まれて、「ゆるトレーニング」としての役割をも果たしているということですね。しかし、日本には、そのサンバに代わるものがないでしょう。だったら、サンバの何倍も効果の高い、そのものズバリ「ゆるトレーニング」をしたらどうですかという提案もできますね。
――身体ひとつでできるので、お金もかかりませんしね。
高岡 そうです。この厳しい経済状況の中でね、財政的に苦しいチームも増えると思うんですよ。そういう意味で、ゆるトレーニングはコスト削減にもなるわけです。コストは低くても効果は圧倒的に高いので、これで世界と互角に戦えるようになれば、昔から応援してきたサポーターも溜飲を下げられるし、長いこと応援してきてよかったと心底喜んでもらえるじゃないですか。そうやって国民を熱狂させてもらいたいですね。