第3回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
- 松井浩[聞き手]
- 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。
第3回 北島康介(1)(08.07.18 掲載)
――アテネ五輪で平泳ぎの100mと200mで2冠を達成した北島は、北京五輪で連続2冠達成がかかっています。その北島は、見るからにセンター(中央軸)が発達していますね。見てわかるという人も、少なくないでしょう。
※センター(中央軸)とは、身体の中央を天地に貫く身体意識。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム」(49ページ~)で詳しく解説しています。
高岡 わかりやすいよね。顔を見ても造作は丸顔なのにスッキリしてるし、汗のにおいを感じさせる男なのに澄み切った印象を受けるよね。
――そういえば、ある会社が女性500人に対して「北京五輪に出場する日本の男性選手で、最も汗の似合う人は?」と尋ねたら、およそ半数が「北島」と答えたそうです。
高岡 ただ汗臭いだけだったら、女性はただの一人も「北島」を選ばないよね。汗のにおいを魅力に変えるのが、奥に通っているセンターの働きといえますね。
北島は、筋肉的には硬い方で恵まれたとはいえない
高岡 一般の人でも、感覚的に表情もスッキリして澄んだ雰囲気というのはわかりますからね。当然、人気は高まるでしょう。そして、この北島選手というのは、勝てる選手の代表といってもいいですよ。
――本当に、大舞台に強いですものね。
高岡 北島は、瞬発力がかなり発達しているでしょ。
――はい。たとえば、垂直跳びをすると、バレーボールのアタッカー並みのバネがあるそうです。
高岡 ただ、筋肉が骨格に対して短いタイプというのか、瞬発力は強いんですけど、筋肉は硬い方なんですよ。北島の動きを見ていても、筋肉自体は硬い方だとわかる人もいるんじゃないですか…かつてのイアン・ソープあたりと比べるとよくわかると思いますよ。一般にこういうタイプは、ボクシングやフェンシング、剣道など動きに瞬間的なスピードが求められる種目に行きがちなんですよ。反対に、水泳というのは、筋肉をゆっくり使うスポーツなんですね。水泳って、水中であまり速く腕を掻いちゃうと、空滑りして速くは進めないでしょ。水をゆっくり捉まえながら速く掻くという身体の使い方は、実は、筋肉の柔らかい選手に合っているんです。そういう意味でいえば、北島は、水泳には向いていないんです。
――確かに小、中学生の頃は、目立つ選手ではなかったそうです。5歳で水泳を始めて、10歳でジュニア五輪(国内大会)の50m平泳ぎで優勝しているんですが、同年代の選手の中で必ずしも飛びぬけた存在ではなかった。
メンタル的に勝てる選手の代表
高岡 そうでしょうね。それは、北島が、肉体的に優れているのではなく、メンタル的に勝てるタイプの選手だからです。高校生ぐらいから、肉体的なハンディをメンタル面で機能的に乗り越えていった、そういう選手だと思います。身体をゆるめるということが、最初は感覚的に何となくわかるという程度だったんでしょうが、だんだんとゆるみ方というものを機能的につかんでいったんでしょうね。この点、イチローなんかとも、共通するところを感じますね。
――北島は、今のコーチに見込まれて指導を受けるようになってから水泳選手として成長するんですが、そのコーチも体力や筋力より、飲み込みの早さや素直さ、集中力、人間性で選んだといいますね。
高岡 それを究極の身体の観点からいえば、ゆるんだ身体意識を形成していたということですね。一般的には、勝負ごとに臨もうとすると、目の前の勝ち負けに意識が行って、それがストレスになってしまうんです。その結果、過緊張していいパフォーマンスができない。
※身体意識とは、高岡の発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム/センター」(72ページ~)で詳しく解説しています。
――その通りですね。
勝負どころで意識が身体の奥深いところへ向かっていく
高岡 ところが、彼の場合は、このままじゃ勝てないけど、どうしても勝ちたいというモチベーションを持つと、もともと身体は硬い方なのに、それをゆるめるというメカニズムが働くんです。自分の体の奥深いところですね。脳の奥深いところへ立ち返ることができるんです。それがすごい才能だなあと思いますね。
――例えば、北島のライバルに、ブレンダン・ハンセン(北京では100mのみ出場)というアメリカの選手がいるんですが、彼がいい記録を出せばだすほど、北島はゆるんでいけるということですか。
高岡 そうなんです。そういう時、彼自身の「澄んだ意識」がどこへ向かっていくかというと、自分の体の奥へむかっていくんです。脳でいえば、大脳皮質から間脳、中脳と小脳の方へどんどんむかって、自己解決していくわけですよ。こういうタイプの意識の集中の仕方を、私は「緩解性意識集中」と呼んでいます。
――普通の人間はこういう意識の集中の仕方は、まずできないですよね。
高岡 まさに、そうです。普通の人は集中するプロセスで心身共に緊張性にベクトルが傾いてしまう。こういうほとんどの人が陥る集中のタイプを「緊張性意識集中」と呼んでいます。昔日の武術家が極意書などに残した「明鏡止水」や「転(まろばし)」などの言葉も、私のいう「緩解性意識集中」のことなんですよ。北島は、それがかなりの程度できている…。
――すごいですね。実際、合宿中、コーチが「ここは集中していこう」と声をかけたら、北島が一旦どこかへ消えて帰ってくると、目を吊り上げ、らんらんと輝かせて鬼気迫るものがあったそうです。同じプールで練習していた外国人選手が、思わず応援したといいます。
高岡 すごいエピソードだよね。普通の選手は、ここ一番の勝負どころという時、より表面的なことへ意識が向いて、緊張して固まっていっちゃうよね。
――普通、こういうメカニズムは単に「集中力」と呼ばれてしまいますね。
高岡 そう言っちゃうんだよね。でも、「集中力」という言葉では、とてもじゃないけど実体を捉えきれないよ。これも、冒頭で触れた「センター」が発達しているからで、究極の身体づかいの一つなんだよね。そして、人間の意識や脳には、そういう奥深いメカニズムがあるということですよ。オリンピックで勝つか負けるか、これは社会的、社会心理的なことじゃないですか。それに対して人間の心理は、逆向きに体の奥へむかって働いて、本当で静謐な、静かで密やかな身体という世界にスーッと入っていくことができるんです。
――肉体的に飛びぬけた才能がなくても、そういう境地になれるということですね。
高岡 人間というのは、肉体的なハンディを克服して世界のトップスイマーにまでなることができるということですね。北島は、ここ10年間を見ても世界のトップスイマーに入りますよね。人間というのは、そういう可能性も持っているんです。ここのところが、大変に重要なところです。
――ということは、北島は、予選や準決勝で他のスイマーがいい記録を出せば出すほど期待が持てるということですね。