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高岡英夫の対談
「トップアスリートを斬る」

【文中で紹介された本】

第11回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。

第11回 大相撲【前編】(08.10.10 掲載)

――先生は、最近の大相撲をご覧になるんですか。

高岡 全く見ないですね。相撲というものを見なくなって、もう30年くらいですか。

――えっ、若貴ブームの頃もですか(若乃花の横綱在位は平成10~12年。貴乃花は平成6~15年)。

高岡 「全く見ない」と言っても、ニュース番組などで相撲が取り上げられることがあるじゃないですか。若貴ブームの頃は、自然と目に入る機会が多かったですからね。でも、この30年ぐらいは、自分から進んで相撲を見たことはないですね。

――見るに耐えないということですか。

高岡 ひと言でいえば、そうですね。今でもよく覚えているのですが、相撲を見なくなったきっかけは北の湖(横綱在位は昭和49~60年)でした。相撲内容の乏しさ、水準の低さに嫌気がさして見なくなりましたね。そんな彼が、なぜ横綱になれたかといえば、輪島(横綱在位昭和48~56年)を筆頭に周りの力士があまりにも不甲斐なかったからです。

――北の湖が横綱の頃、私は中学、高校生だったのですが、ライバル視された輪島の左下手出し投げに、北の湖がトットットッ片足ケンケンをして残っていたのをよく覚えています。当時は訳が分からず見ていましたが、今から思えば、あんな残し方しかできなかったこと自体が大問題だったんですね。

腰で相撲を取るためには、腰がゆるゆるにゆるんで仙腸分化をしていないといけない

高岡 本来の相撲であれば、腰を割って腕(かいな)を利かせればいいだけのことなんですがね。かわいそうな話なんですが、北の湖には「腰」というものが全くできていなかったですね。昔から「腰で相撲を取る」と言われますが、本当の意味で腰で相撲を取ろうと思えば、腰がゆるゆるにゆるんで、割るのも締めるのも落とすのもずらすのも自由自在でないといけないんです。腰の中心に仙骨があって、仙骨と腸骨を結ぶ仙腸関節がゆるゆるにゆるんで「仙腸分化」している。そうすると、腰椎が自由に動くんですね。腰椎が自由に動くと、今度は下半身と上半身の自由度が高まってきます。たとえば、足がより広範囲に使えるし、狭い範囲の中でも自由自在に、かつ絶妙に使える。それと同時に足の上に乗っている上半身が、また自由に動く。その結果、上半身と下半身の自在の動きが組み合わされて、無限の展開が生まれてくるんです。そして、それが、相手の力を簡単に出させない組み手になるんですよ。「究極の身体」でいえば、「中心操作」による相撲ですね。

 相撲は、そもそも、柔術と同じ系列です。相撲の基本技術はいかに相手の力を封じるかにあるのですが、北の湖にはそういう要素がゼロでしたね。

※仙腸分化については、『究極の身体』の第5章「身体分化・各論/割腰」(183ページ~)で詳しく解説しています。

※双葉山の「中心操作」については、『究極の身体』第5章「身体分化・各論/究極のコラム…名横綱・双葉山の強さの秘密は中心操作」(142ページ~)で詳しく解説しています。

――私が小学生の頃は、もう大鵬(横綱在位昭和36~46年)の晩年でしたが、それでも妹に嫌がられながらも、妹相手に大鵬の真似をせずにはいられませんでした。しかし、北の湖は真似をしたいとは思わなかったですね。

高岡 ただ、大鵬というのも、当時、大変な人気力士でありながら、ものすごく嫌われた人でもあったんですよ。なぜかというと、相手の力を封じるテクニックで勝負したからです。全身のゆるみから生まれる上半身と下半身の無限の展開で相手の力を封じるのではなく、テクニックで相手を封じていたんですよ。

――そういえば、大鵬は、伸びてきた若手とよく稽古をして相手の特徴をつかみ、本番の取り組みでは決して負けなかったようですね。

高岡 そうなんですよ。相手を研究して、テクニックで封じていく。さらに大鵬は、当時の相撲取りとしては立派な体格(全盛時は身長187cm体重153kg)で、筋力も各界随一と言われるほど強かった。そういう筋力やテクニックで、相手に力を出させない。専門的には「封力システム」と呼ぶんですけど、対戦相手や相撲ファンにとっては、しゃくに障るタイプなんですね。大鵬を見ていて「封力システム」のことはわからなくても、目の肥えたファンなら何となく感じますから、「本当に嫌なやつだな」と思う人も多かったですね。

――当時の大鵬はハンサムで、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われるほど女性や子供に人気が高かったんですが、目の肥えたファンには、そうでもなかったようですね。

昔日の相撲では、負ける相手が笑ってしまうくらいレベルの高い封じ合いが行われていた

高岡 大鵬は、実際には昔日の相撲取りと比べると、かなりレベルが低いわけです。昔は、大鵬の何十倍もレベルの高いところで、何百倍も内容のある封じ合いをしていたんですね。うまく封じられると手も足も出ないんですよ。負ける方が、もう笑っちゃうくらいなんですから。笑いながら負けちゃうくらい何もできない。そういう水準からすると、大鵬はレベルが低いんですけど、まだ封力システムという点でいえば、わずかに見ることができたのです。

――大鵬が台頭してきた昭和30年代のスポーツ新聞を読んでみると、相撲のレベルが落ちたと指摘している評論家はいるんですね。しかし、「レベルが落ちた」と嘆くだけで、その理由は何も語っていません。高岡先生に、このように説明して頂くと、とてもよくわかります。それと、大鵬と実際に対戦した人に話を聞くと、立会いでぶつかっても、大鵬の身体はふにゃっとして吸い込まれるような感じだったといいます。まだ身体の柔らかさは残っていたということですが、今思い出しても、北の湖の身体は大鵬とも違うし、双葉山(横綱在位は昭和13~20年)と比べると、もう全然違いますね。

高岡 双葉山は、もう全身がたらーんとしていて、つくべきところに筋肉がしっかりついていた。そして、その筋肉も、またたらーんとしてゆるんでいる。さらに、骨が分化してパラパラになっていて、体の各パーツが積み重なって全身が出来ていたんです。つまり、「組織分化」ができていたんですね。

――まさに「究極の身体」に近い存在ということですね。

高岡 それに比べて、北の湖は全身に無駄な力が入っていましたね。身体がでかくて(全盛時の身長は179cm体重169kg)、筋力が強くて、バネがあって運動神経がまずまずで、闘志があって、というだけのことなんです。そういう存在を「力士」と呼んではいけないし、そういう人たちの取り組みを「相撲」と呼んでもいけないんです。言ってみれば、単なる「怪力比べごっこ」なんですよ。

――今はインターネットの動画でも、双葉山の姿や取組みを見ることができます。若い人も「双葉山と言われても知らない」と言わずに、実際に見てほしいですね。蹲踞(そんきょ)を見るだけで、あまりに美しくて「一時停止」してしまいますよ。

高岡 蹲踞があれだけ美しいのも、地球の中心に乗ってセンターがスパンと立ち上がっているからですね。

※センター(中央軸)とは、身体の中央を天地に貫く身体意識。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム」(49ページ~)で詳しく解説しています。

――さらに、高岡先生のお話を頭に入れて双葉山の相撲を見ると、いろんな発見があると思います。

高岡 大相撲のテレビ中継を見るぐらいなら、同じ時間にインターネットで双葉山を見ていればいいんですよ。今でも、普通に相撲を見ている人は、本当のことがわからないと思いますし、相撲界にもわかる人がいないと思いますね。

――現在、相撲界はさまざまな問題で大揺れなんですが、理事長(当時)としての北の湖の対応を見ていても、どこに横綱の品格があるんだという感じでした。最近は、朝青龍の態度や行動がよくパッシングされるんですが、北の湖も元横綱なの?と思うほど問題だったですね。

高岡 北の湖自身が、現役時代、土俵上の態度などで横綱の品格がないとよく批判されていたもんですよ。だから、朝青龍だ、何だといっても、みんな五十歩百歩みたいな話になってしまうんです。

 

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