ホーム > 第9回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」

高岡英夫の対談
「トップアスリートを斬る」

【文中で紹介された本】

第9回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。

第9回 伊調馨ほか【前編】(08.09.26 掲載)

――北京五輪に出場した日本人選手で、特に印象に残った選手は誰ですか?

高岡 女子レスリングの伊調馨(63kg級で金メダル)ですね。理由は、もちろんゆるんでいることです。同じ女子レスリングの吉田沙保里(56kg級で金メダル)もゆるんでいるんですけど、個人的には伊調馨の方が好きですね。なぜかと言えば、彼女、だらしない方向でゆるんでいるでしょう。

――彼女には、「夜の蝶」っぽいイメージがありました。

高岡 ハッハッハッ。それ、松井君の意見だよね。私は、ちょっと違う印象なんだけど。

 私が、伊調馨を初めて見たのは、前回のアテネ五輪の前でした。当時、彼女はあまり期待されていなかったようで、アナウンサーの話を聞いていても、お姉ちゃんの千春(48kg級)の方が金メダルを期待されていたんですね。ところが、テレビに出演している二人の姿を見て、私は「その逆だな」と思いました。お姉ちゃんの千春は固まっていたけど、妹の方がずっとゆるんでいましたからね。実は、それまで女子レスリングをほとんど見たことがなくて、こう言うと運動科学者なのにすべての競技を見ているわけではないのがバレてしまうんですけど、二人の技術レベルは全然知らなかった。でも、二人ともメダルを期待されるレベルであることを考えれば、「金メダルを獲るのは妹だろうな」と思ったんです。結果は、その通りでしたね。

――アテネ五輪で、お姉ちゃんは金メダル確実と言われながら、決勝で判定負けを喫して銀メダルでした。

大舞台で考えるタイプの姉は銀メダル、ベタッとゆるめる妹は金メダル

高岡 今回の北京五輪では、二人の決勝戦を見ました。やっぱり、戦いっぷりが4年前の印象のままなんですよ。千春は、本当に大脳新皮質で考えることが得意なタイプですね。

――性格的にも、小さい頃から真面目で完璧主義者のようですね。休日にも相手をビデオで徹底的に研究して、その戦い方や癖、細かな反応のし方まで頭に入れないと気がすまないといいます。そして、掃除。これも完璧にしないと嫌なタイプだそうです。一方、だらしない方向でゆるんでいる妹は、家でだらだらしていることが多いとか。

高岡 そのままですよね。でも、それは当然のことで、人の身体の動きや行動、それに考え方や発想というのは、すべて身体意識によって支えられているわけです。ですから、その人の戦い方と普段の生活には、相通じるものがありますよ。千春の場合、普段の生活でも、戦いぶりでも、プレッシャーがかかるほど頭であれこれ考えすぎちゃって、身体が固まりやすいんですね。だけど、固まってしまっては金メダルは絶対に獲れない。そこが、やはりオリンピックの素敵なところですよね。

※身体意識とは、高岡の発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム/センター」(72ページ~)や『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)で詳しく解説しています。

――北京五輪の決勝では、特に身体の前側に無駄な力が入って、タックルを仕掛けても相手の懐へなかなか飛び込んで行けず、無理に飛び込もうとすると、今度は身体が前のめりに落ちてしまう。そこを狙われてポイントを失っていましたね。

高岡 一方、妹の馨は、見るからにたいして考えてないなあというタイプですよ。でも、ベタッとゆるめてしまうんですね。そうかといって、たいした動きもしていない。だけど、相手の選手も、何もできないのね。相手としたら、相当にやりにくいんでしょうね。「懐が見えない」と言っていいほど懐が深い。喩えていえば、底なし沼に入ってしまったような感じになると思うんですよ。北京五輪の決勝では、そんな戦いぶりが劇的に現れていましたね。

――妹の場合は、準決勝が山場といわれていて、試合後は「歩くのも大変だった」というぐらい疲れていました。決勝は、その疲れを引きずっていたようですね。

吉田、谷は「まじめ系のゆるみ」、馨、石井は「だらしない系のゆるみ」

高岡 ああ、そうなの。確かに、ほとんど動けてなかったですよ。でも、その動けないまま勝ってしまったわけですから。試合中にしたことといえは、相手を吸収することだけと言っていいくらいでしたね。相手の動きや意識をみんな吸収していってしまう。

――いやあ、やっぱり恐ろしいタイプですね。

高岡 それも、松井君の印象だよね。夜の蝶に相当に痛い目にあった経験があるのかも知れないけど、まあ、それは置くとして。あと別な角度からいうと、彼女がやったことといえば、重心のコントロールですね。動いていないといっても、全く動いてないんじゃなくて、微妙に足や寝た場合には全身のポジションを変えて、相手の動きや出方に対応しているわけです。こういった戦い方は、武術でいうと、達人の典型的な勝ち方の一つですよ。達人には、歳をとって強くなる人が多いでしょう。体力的にそんなに動けなくても、相手の全てを吸収しながら勝ってしまう。私自身、武術家として、伊調馨の戦いぶりは素敵な一面を見せてもらったと思いました。

――彼女も「1-0で勝つ美学」という話をしていますね。相手を完全に崩してフォール勝ちするより、相手に何もさせないまま、1ポイントを奪って勝つ。オリンピックの決勝という大舞台でもゆるむことができるから、自分の理想とする戦いができたんでしょうね。

高岡 その伊調馨がだらしない系のゆるみの代表とすれば、吉田沙保里は、まじめ系のゆるみの典型ですね。「節度正しいゆるみ系の権化」というか。柔ちゃん(谷亮子)もそうですね。柔ちゃんが、まじめ系のスーパースターとすれば、吉田はそれに次ぐ人ですね。

――私は吉田沙保里にインタビューしたことはないですが、谷亮子にはインタビューしたことがあります。その時は、途中で襟を正し直したという感じでした。

高岡 そうなるでしょうね。何たって、まじめにゆるんでますからね。面と向かって話していると、居ずまいを正したくなっても不思議はないですよ。今年のオリンピックでは、もう一人「だらしない系のゆるみの代表」がいましたね、柔道の男子で。

――100kg超級で金メダルの石井慧ですね。

高岡 そうそう。彼も素晴しいよね。勝った直後のインタビューで、これから何をしたいかと聞かれて、「遊びたいです」と答えて、すぐに「練習したいです」と言い直したりして。あれがゆるんでいる態度ですよ。

――解説の篠原信一さん(シドニー五輪で誤審のために決勝で敗れて銀メダル)が、「あまりしゃべらない方がいいですね」とコメントしてましたね。その後も、石井は数々のユニークな発言でワイドショーにも取り上げられていました。生番組は、出演禁止令が出ていました。

高岡 やっぱり、ゆるんでいるからだよね。でも、禁止されたって、本人は気にしてないと思いますけどね。彼には、もっともっとゆるみを進めて、さらに強くなってほしいですね。

――「女子レスリング4人娘」の最後の1人、浜口京子(72kg級で銅メダル)はどういう印象でしたか?

高岡 相変わらず動いて動いて勝てなかったですね。一生懸命動いているんだけど、残念ながらゆるんでいないんですよ。

 「気合だぁっー!」の父親も含めて、私はあの親娘は大好きですよ。2大会続けて銅メダルに終わった娘について、父親が「不器用だった子供がよくやった」と言ったのは、本当にそうだと思います。技術的、精神的にプロレスラーだった父親がいろいろとアドバイスして、ようやくあそこまで行ったんだと思うんですよ。それなら、正しい方向で努力してほしかったと思うんですね。ゆるむということにこそ、しっかりと取り組んで頂きたかった。そうすれば、娘も金メダルを獲れただろうし、父親が娘を「本当によくやった」と、但し書きなしで誉めることもできたと思います。そういう潜在力は充分に持っている親娘ですよ。

――彼女は、ロンドン五輪で金メダルをめざすということですが、現在30歳です。年齢的なことも含めて、ゆるトレーニングに取り組んでもらいたいですね。

 

▲このページの先頭に戻る