第22回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
- 松井浩[聞き手]
- 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。
(2009.03.06 掲載)
――今回は、浅田真央に発達している「リバース」という身体意識についてお話を伺いたいと思います。
※「身体意識」とは、高岡が発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム/センター」(72ページ~)や『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)のはじめに(1ページ~)、序章(17ページ~)で詳しく解説しています。
※「リバース」とは、人と人、あるいは人と物とを結ぶ放物線状の身体意識。『身体意識を鍛える』(青春出版社)の第2章「達人たちの“身体づかい”7つの極意を知る/アイテム4 リバース」(86ページ~)や『丹田・肚・スタマック』(ベースボール・マガジン社)の第5章「リバース武蔵」(154ページ~)で詳しく解説しています。
高岡 「リバース」というのは、観客の熱烈な声援や思いを自分の身体の中に受け取り、何らかの反応を返していく身体意識のことです。
――浅田真央が、最終的には逆転優勝した’08-‘09グランプリシリーズのファイナルは、韓国のコヤン市で開催されました。その会場の応援は「韓国の至宝」といわれるキム・ヨナ一色で、日本人の応援は本当に少なかったんですが、浅田真央は、その少ない日本人の応援をすごく感じとったみたいで、試合のまさに直後に「応援がとても力になった」と話していました。それを単にコメントとして話しているのではなくて、本当に実感として声援を受け取って演技をする上でのパワーとしたわけですね。
高岡 まさに、そうなんですよ。まさに、そう。「この子、心配りのいい子で、わざわざ来てくれた人たちに感謝の言葉を述べているな」というのではないんですよ。ギリギリのところに追い込まれて戦った直後の選手が、普段行うような心配りなんてできるわけもないし、するわけもないんです。本当に実感を言葉にしているんですよ。松井君のその着眼は、リバースのある選手のことをよく物語っています。
――現在の日本のスポーツ界では、試合直後のインタビューで「応援よろしくお願いします」と付け足すことが流行っているんですが、それとは訳が違いますね。
観客の声援をどれくらい自分が生かせるかどうかは、身体意識の装置にかかっている
高岡 注意してもらいたいのは、人の声援を受けて、それを自分のためにどれくらい生かせるかどうかは、身体意識の装置にかかっているということです。グランプリ・ファイナルのケースでいえば、正確にはわかりませんけど、たとえば、会場の99%がキム・ヨナの声援で、浅田真央には1%しかなかったとすると、普通の人なら99%の大歓声の方を聞いてしまいますよ。そして、その大声援に圧倒されて、それで終ってしまいますよ。声援に負けたとか、「アウェー」で実力が発揮できなかったということがよくあるでしょう。
――サッカーやボクシングの試合などでは、同じ現象を反対の立場からいった「ホームタウン・ディシジョン(ホーム側に有利)」というのがよく指摘されますね。
高岡 ところが、この「リバース」が強いと、たった1%の声援をちゃんとキャッチできるんですよ。釣り糸で大海から狙いすました一匹の魚を釣り上げるように、その声援を自分のところへ引き寄せることができるんです。これが、「リバース」というものです。ライバルへの大歓声の中で、なぜ逆転優勝ができるのというと、わずかな声援でも、それをパワーにできるという理由が、必ずあるんですね。
――声援をやる気にするということですね。それは、学校の運動会レベルでも起こることですよね。
高岡 そうです。家族や友達の声援を受けて、燃えるというやつですね。カラオケ大会などでも、見られますよね。強い、弱いはあるんですけど、多くの人が「リバース」という身体意識をもっていて、日常的に使っているんです。「リバース」の標準形は、胸に形成される身体意識である「中丹田」にかかってくる放物線状の構造です。中丹田はやる気や情の中心ですから、人の応援をやる気に変えることができるんです。浅田真央は、それが素晴しくよく発達しています。
浅田真央は人の声援を「転子」にも取り込み、それをエネルギーに変えている
ところが、浅田真央の面白いところは、その標準形以外にもたくさん「リバース」をもっているところです。その中で、ぜひとも注目してもらいたいのが、「転子」にかかるリバースなんです。
――え~、「転子」ですか。声援を「転子」に取り込んでいくって、それは、どんなふうになるのですか。
高岡 順番に説明すると、まずすべての大前提として、浅田真央本人が、「もっと強烈に『転子』を働かせたいなあ。股関節をもっと徹底的にクッキリと働かせたいなあ」という強い潜在意識をもっている事実があります。そしてその上でさらに、「まだ足りない、まだ足りない」と思っているんですね。そんな時、「お母さん、もっと応援してね」と思ったり、「私を応援してくれる皆さん、私の股関節に期待してね。お父さんも、お姉ちゃんも、友達も、私の股関節にもっと期待してね」というように強烈に思い続けることができれば、「転子」に素晴しく意識が集中できるじゃないですか。自分の拠り所と思っているものに、親や姉、友達も「いいね!!」と言ってくれたら、すごい強い味方になりますよね。だから、転子の意識も高まって股関節の効いた演技ができるということです。
実は、こういうことが、浅田真央の潜在意識の中で行われているんです。人間の潜在意識というのは、大変に活動的で、顕在意識の何百倍、何千倍という質と量をもった世界ですよね。その潜在意識の世界で、股関節に「転子」という強力な身体意識が形成されながら、なおかつ、人の思いや期待感をそこに取り込んでやる気に変え、「転子」がもっと強力に働くようにすることができているということなんです。だから、松井君が前回(第21回 浅田真央(2))言ったように、「浅田真央は、脚を上げる時、他の選手とは違って股関節からピュッと上がっていきますよね」という独特の演技ができるんですね。同時に、軸足となっている方の股関節にも注目しながら見ていると、浅田真央は、明らかに両方の股関節をコントロールしながら使っているよね。
――そうですね。
高岡 軸足側の股関節が、脚を上げる側の股関節をちゃんと意識して、ちゃんと支えながら脚を上げていきますよね。言ってみれば、左右二つの股関節が会話しながら演技しています。見る人が見れば、それほど股関節がくっきり見えますよね。鋭い人なら、前回の「転子」や今回の「リバース」の話を聞かなくても、浅田真央の演技を見ながら、自然に股関節に注目していると思いますね。それほど人の期待感を集めるような身体意識が、股関節にできているんです。フィギュアスケートの世界でも、そんな選手はなかなかいませんよ。歴代の選手でも珍しいと思いますね。
――確かにそう言われると、浅田真央の場合は私も自然に股関節に注目していましたね。他の選手の時は、もう少し全体を見ていますね。浅田真央の演技を見ながら、目がスッと股関節に行ってしまう裏には、そういう理由がちゃんとあるんですね。
高岡 大きな試合になればなるほど、委縮して、普段できていることができなくなるということはよくあるじゃないですか。股関節だって、緊張すると委縮するんです。回りの筋肉が緊張して固まってくるんですね。筋肉が緊張して固まると、何に似てきますか。骨に似てくるでしょう。固くて動きのないものって、骨ですからね、緊張すると、潜在意識の中で筋肉が骨と同質化してくるんですよ。そうすると、骨に辛うじてできていた身体意識の装置が混乱を起こします。一時的に筋肉か、骨かわからなくなって、動きがガクッと悪くなるんですね。
――脚がすくむという状態ですね。
緊張して脚がすくむような時でも、「転子」に声援を取りこむと「転子」が温かくなって普段通りの実力が発揮できる
高岡 そうです。大歓声を浴びれば、ましてや、それがライバルへのものだったら、誰だって脚がすくむという状態に追い込まれますよね。また、相手が高い点を取って、自分が何とか追いつかなければいけないというような状況でも、同じですよね。普通は緊張して脚がすくむものなんですけど、「リバース」が「転子」にかかってくると、そういう時でも「転子」が温かくなるんですよ。そして、「転子」の周りの筋肉が解きほぐれてくるんですね。そうすると、本来できている身体意識の装置がまごついたり、混乱しないで、普段通りに発揮できるというわけです。
このメカニズムを具体的に言語化したものが、「応援を頂いてパワーになりました」という話になるんですね。浅田真央レベルの選手になると、単にメンタル面が強くて、ライバルへの大声援を跳ね返したという単純な話ではないんですよ。この論理を読者の皆さんにも感じ取ってもらえるといいですね。
――そういう話をお聞きすると、子育て真っ最中の親としては、とても感動的ですね。浅田真央は、子供の頃から股関節の意識がうまく育つようにと非常にうまく育てられ、そういう積み重ねがあって「転子」という意識が発達して、それを拠り所に大変なプレッシャーを跳ね返している。子供の頃からの小さな積み重ねのうえに、今の天才スケーターとしての存在があるというのがよくわかりますね。
高岡 その通りなんですよ。いいことを言ってくれた。浅田真央の育ち方を詳しく聞いてみれば、いいことや素晴しいことがたくさん重なり合っているはずで、だから、若くしてあれだけの活躍ができる天才スケーターに育ったんですね。それを身体意識の観点でみたときに、まさにその裏付けができるわけですね。身体意識を具体的に見ていくと、成長過程でさまざまな良循環が起きて、ひとつ一つの身体意識の装置も発達を積み重ねてここまで来たんだということが、実によくわかるんですね。ここのところが、本当に大事だと思いますね。「ローマは一日にしてならず」というように、浅田真央のような天才スポーツ選手も一日にしてなるものではないんです。だけど、その一方で、生まれてから20代まで、浅田真央のようにうまく育てられた人は少ないわけですから、そういう多くの人々にとってみると、いくつになっても期待をもって身体意識を鍛えあげればいいんですよ。
――そういう身体意識を育てあげるメゾッドも、理論も確立されていますからね。もう浅田真央のような存在を見て、感心しているだけの時代ではないですね。
高岡 まさにそうです。こういうスターたちは、自分を知るため、目指す方向を決めるための資料であり、お手本なんですね。現在、浅田真央と同じ水準の転子を作り上げることは、まっとうな意味での根気と知能があれば、ほぼ誰にでもできます。そういう時代になったんですね。同じ身体をもって生まれてきた我々にとって、希望は大きいですね。