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高岡英夫の対談
「トップアスリートを斬る」

【文中で紹介された本】

第12回 高岡英夫の対談「トップアスリートを斬る」

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。
 

第12回 大相撲【後編】(08.10.17 掲載)

最近の大相撲のさまざまな問題噴出の背景には、日本人の人間としてのレベル低下がある

高岡 最近の相撲界で大きな問題が次々と噴出しているのは、相撲というものが滅びつつある文化だからですよ。ローマ帝国が滅んでいく時、実にさまざまな問題が起きたじゃないですか。それと同じように、滅び行く時というのは、その途上でいろんな問題が噴出するんですね。ちょうど相撲が、それに当たると思います。そして、なぜ、相撲がこれだけひどくなったかというと、その背景として、日本の社会が同じように滅び行く過程にあるからだと思います。相撲は、その象徴にすぎないんですよ。そこに、日本人は気づくべきだと思うんです。

――江戸時代の日本人は、世界的に見ても大変レベルが高い国民だった。しかし、明治以降、日本人のレベルは落ちる一方ということですね。たとえば、俳句、川柳、浮世絵、歌舞伎、演芸など現在でも日本文化を代表するものの多くが、江戸時代に確立されました。相撲も、その一つですが、日本人のレベルの低下にあわせて、文化も滅亡に向かっていると。

高岡 たとえば、人間としての誠実さってありますよね。私は、その人間としての誠実さが、社会を良くしていくための根本だと思いますが、江戸時代の日本人は、下々の者からトップまでそれが大変に高かった。幕末から明治初期にかけて多くの西洋人がやってくるんですが、日本人の人間としてのレベルの高さに驚いているんですね。そういう意味で、日本は世界に冠たる国でした。そして、そういう江戸時代の遺産を明治以降食いつぶし続けてきたのですが、今やそうした遺産はほとんどゼロに近づいているどころか、真実はそれを越えてすでにマイナスに入っているというのは、みなさん、実感されていると思うのです。

 相撲でいえば、それが「腰」ですよ。「相撲は腰で取るんだ」というのは、人間や社会でいえば、「誠実さ」と同じ根本ですよ。勝つか、負けるかではなくて、腰で取るかどうかなんです。仙骨がゆるゆるになって、仙骨と腸骨がずるずるにゆるんで、腰椎が自由自在に動くから、上半身も下半身も自由自在のポジションを取って、お互いに無限の展開が生まれてくる。それで競い合うというのが、本当の相撲というものなんですよ。

――相撲には、「死に体」という素敵な言葉がありますね。ルールとして勝った、負けたより、体が生きているか、死んでいるかが問題とされました。

高岡 社会も同じですよね。GDP(国内総生産)とか、経済成長率とか、そんな数字で社会を計ろうとするでしょう。そういう尺度自体が問題なんです。内容がなくても、数字上の勝ち負けで判断しようとする。でも、そんな数字より大切なのが、人間としての誠実さですよね。実直さであり、勤勉さであり、明朗さ。そして、その上に乗って親切とか、思いやり、人に対する配慮でしょ。気配り、目配り、心配りですね。今は電車に乗っても、駅を歩いても、そういうことのまったくできていない人が多すぎますよ。自分の身体、自分の存在自体が邪魔だということがわかってないんですね。そこにいれば、周りの人に対して邪魔なんですよ。かつての日本人は、そういうことを自覚して生きてきたわけで、特に江戸時代は、それが美意識にまで高められていたわけです。

――私は、今は京都の田舎に住んでいますけど、確かに、東京に出てくると身体をかわさなきゃいけないような場面が多いですね。

相撲の根本である「腰」を取り戻すためにも、アマチュアとして出直しなさい

高岡 専門的にいうと、「間主観性」の問題ですね。客観科学は状況性というものを排除しながら対象を見ようとするでしょ。それに対して、完全な主観と客観の間にあるのが「間主観」です。その場にいるお互いの中で、自分を捉えていく。たとえば、大きな荷物をもっていて電車に乗った場合、あの狭い空間の中で、どう行動すれば、自分が他人の邪魔にならないか。昔の日本人は、それを瞬時に考えることもなく、自分の行動を組み立てられたんです。社会のそこかしこに、高度な実践的な知恵があふれていました。

――相撲でいえば、根本の「腰」というものが忘れられ、高度な技の封じ合いという本来の相撲も全く見られなくなった。現在は、勝った、負けたに一喜一憂しているにすぎず、もはや相撲は滅亡を待つばかりということですね。

高岡 それが現実なんですよ。しかし、日本も滅亡しては困るし、相撲だって、本来は愛すべき競技ですよ。だから、多くの人が智恵を出し合って、相撲をよりよい方向へ立て直さなきゃいけないと思うんですね。そういう意味でいえば、現在の大相撲は解体して、一度アマチュアに戻るというのも一つの方法だと思いますよ。

 現在の興行形態が確立されるのは、明治以降なんですね。「国技」という名称も、その当時に作ったものです。ネーミングがとてもよかったんですね。「ずるいぞ、相撲」という話で、柔道や剣道が先に名乗ってしまえばよかったのに、相撲に先を越されてしまった、という人もいるぐらいですから。それからですね、相撲が収益事業としてのし上がってきたのは。その中で、本当の意味での相撲というものが忘れられていったんですが、収益事業としたことで、さまざまな問題が出てきているわけです。だから、文科相が、日本相撲協会の財団法人としての認可を取り消し、アマチュアに戻せばいいんですよ。アマチュアの人たちは、真面目ですからね。金も得られないのに、好きというだけで真面目に黙々と取り組むという純粋さがあるでしょ。アマチュアに戻って、相撲という競技自体がどのくらい社会に受け入れられるのか。それも、相撲が、もう一度育ち直るための一つの方法だと思いますね。

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