書籍連載 『究極の身体』を読む 身体の中心はどこにあるのか
- 『究極の身体』を読む
身体の中心はどこにあるのか - 運動科学総合研究所刊
高岡英夫著 - ※現在は、販売しておりません。
- 高岡英夫自身の講義を実況中継!
より詳しく、より深くスリリングに
「究極の身体」を体感してほしい
第17回(2008.10.28 掲載)
ビールを上手に注ぐ=“極意注ぎ”のメカニズム
『この三年間、運動科学者である高岡英夫という人物に接してきて、「この人は、ただ者ではない」と感じたことが、数えきれないほどある。
たとえば、宴席でビールを注いでもらった時も、そうだった。
何人かの宴席では、ビールの注ぎっこをする。すると、乾杯までに間があき、グラスにできた泡が消えてしまう。ところが、高岡氏の注いだグラスだけは、泡がなかなか消えないのである。しかも、泡がクリーミーだから、グラスに口をつけた時、きめ細やかな泡が鼻の下につかえる。ムズムズしてくすぐったく、グラスに口をつけた段階で、もう満足してしまうほどである。手で注いだビールで、こんな気持ちの良さを味わったのは初めてで、高岡氏に注いでもらったビールを飲みながら、「この人は、ただ者ではない」と感じていた。
香りと風味を逃がさないためにも、七対三の割合で泡立てることがうまいビールの必須条件だという。だから、ビアホールのプロは、ビールの温度管理に気を遣い、グラスに気を遣い、器具を丁寧に扱ってビールを注ぐ。クリーミーな泡立ちも、ビアホールの専用設備を使って注いだのならわからないではない。
しかし、高岡氏の場合、店で出されたグラスに、出されたびんビールを注ぐだけである。そして誰もがするように、手を使ってである。自分で試してみればわかることだが、手で注ぐだけで、これほど見事な泡を立てることはなかなかできない。
世の中に、ビールの注ぎ方一つで、「この人は、ただ者ではない」と感じさせる人物というのも、そういないに違いない』
(松井浩著『高岡英夫は語る すべてはゆるむこと』総合法令出版)
少々長くなりましたが、スポーツライター松井浩さんの「はしがき」から引用させて頂きました。現在、関係者のあいだではこの私のビールの注ぎ方は“極意注ぎ”と呼ばれているようです。
ビールをグラスに注ぐ。一見簡単なことですが、じつはけっこう奥深いものがあります。上手に注ぐためには、ビール瓶の重心を感じ取り、合わせてその重心線を感じ取れなければなりません。そして瓶を傾けていったとき、その重心線は瓶のなかのビールの液面と直交します。したがって瓶全体の重心線を非常に強く掴めている人は、当然水平の液面もより強く掴めています。そのまま瓶を傾けていくと、ビールの液面が瓶の口を越える瞬間がやってきますが、そうするとその瞬間もよくわかるのです。
液面が瓶の口を越しはじめて、ビールの雫が一滴垂れはじめると、どうなると思いますか?
ビール自体は液体ですが、瓶のなかに入っているうちは液体であると同時に固体的な性質を持っています。しかし瓶の口から雫となって出はじめた瞬間、今まで一体だったビールがその一滴だけ分離しはじめて、別のものになるのです。そして瓶の口からその一滴が離れた瞬間、その雫と残りのビールを含むビール瓶とは別々の存在になるので、雫と瓶にそれぞれの重心線が生まれます。しかも瓶の口からビールがダラダラダラ~と離れていくときのことを考えると、瓶本体に重心線がある一方で、雫側にも重心線が生まれつつある状況で、それらはまさにアナログに変化していきます。そしてビールには粘性もあるので、雫と瓶を統合した重心線もおぼろげながら1本生まれます。つまり瓶と雫は分かれつつ分かれていない状況なので、重心線は3本できるのです。でも雫が瓶からパッと離れてしまえば、重心線は瓶と雫の2本になります。
この状況はなにかに似ていると思いませんか?
そうです。“究極の身体”のなかの運動構造に似ているのです。だから“究極の身体”の人にとってみれば、瓶の口から一滴出るか出ないかという状況が、700近い筋肉・骨格のあいだで連結関係が変わるたびに行われているのです。たとえばバットを強く握ったり、弱く握ったりする、あるいは指同士がくっついたり離れたりするという状況は、まさに連結関係が変わる運動状態です。こんなとき、身体にもちょうど瓶から液体がこぼれ落ちそうになっているときの重心線の変化と同じような状況が生じるのです。
このようなことを踏まえて、もう一度ビール注ぎのことを考えてみてください。ビールを注ぐという行為のなかで、一番難しいのは注ぎはじめと注ぎ終わりです。注ぎはじめは、ちょうど吃音のように円滑に出なかったり出すぎたりが繰り返されたりしがちです。丁寧に注ごうとするあまり注ぎはじめで躊躇してしまうと、雫が瓶を伝わってしまいコップの外にこぼれてしまうというのはよくあることです。そうした経験をした人は、もう少し勢いよく注ぎだすようになってしまいます。しかし、ザーと勢いよく注ぎだしてしまうと、ビールが出るか出ないかという微妙な連結関係のところが味わえなくなってしまうのです。でも味わおうとすると瓶のふちをツツーと伝わってきてしまう危険性があるので、まず一滴の雫をポトンとひと垂らしするような感じで注ぎはじめて、ツーと一線につなげていくのが非常に難しいのです。
また注ぎ終えるときもパッとカットオフしてしまえば簡単なのですが、そのビールの線を徐々に細くしていって、フェードアウトしていくのはとても難しいことです。
というわけで、ビールが瓶からコップに注がれるとき、1本の重心線から始まって、瓶が傾くにつれ1本から3本になりつつ2本に分かれてはじめてビールが落ちるのです。
これはじつは身体のなかに起きていることのモデルなのです。