ホーム > 2010年ニュルブルクリンクレースを語る-Part1 高岡英夫×クラゴン×藤田竜太鼎談 「貫くセンター、目覚めよ細胞! “クラゴン”無心のフリードライビング(6)」

2010年ニュルブルクリンクレースを語る-Part1 高岡英夫×クラゴン×藤田竜太鼎談

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫
    運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、人間の高度能力と身体意識の研究にたずさわる。オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」を開発。
  • クラゴン
  • クラゴン
  • レーシングドライバーとして世界最高峰のサーキット、ドイツ・ニュルブルクリンクでのレースで活躍するなど、専門筋をうならせる傍ら、ドラテク鍛練場クラゴン部屋を主宰し、一般ドライバーの運転技術向上にも取り組む。「クラゴン」は日本自動車連盟に正式に登録したドライバー名。ゆるトレーニング歴は約10年。2010年9月のVLNにポルシェでの参戦が決定。
  • 藤田竜太
  • 藤田竜太
  • 自動車体感研究所(ドライビング・プレジャー・ラボラトリー)所長。自動車専門誌の編集部員を経て、モータリング・ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。ゆるトレーニング歴も10年以上で、某武道の指導者という顔もある。

第6回 貫くセンター、目覚めよ細胞! “クラゴン”無心のフリードライビング(6) (2010.10.12 掲載)

「把捉性拘束」で体幹部が固まると、身体の自由度が奪われてしまう

クラゴン 今年受講させていただいた講座のなかで、一番ドライビングに影響があったのは、「剣聖の剣」かもしれません。さっき「液圧」の話が出ましたが、ボクが思うに、刀で切ることと、ステアリングを切ることには共通性がある気がします。
 刀にせよ、ステアリングにせよ、いろいろな条件の中で「ここでしか切ってはいけない」という場所や、「ここで切らないといけない」というタイミングがあると思うんですよ。とくにニュルではきわめて狭い絶妙なタイミングでステアリングを切っていかないと、走りが破綻し始めるので、そういう意味では、ステアリングも武蔵のいう“切る”のレベルで物を考える必要があるようにも思えてきたんですが……。
 こうしたことがわかってきたのも、「剣聖の剣」を学び始めてからなんですが、「剣聖の剣」に触れたことで、ステアリングの“切り方”も、もっと精度を上げていかねば、という思いが強くなりました。

  • クラゴンの運転したルノークリオ
  • 運動総研講座「剣聖の剣」からドライビングとの共通性を見出し、
    より精度の高いステアリングの“切り方”を目指す

高岡 いいところに気がついたね。私の著書『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』(講談社)のなかで、詳しく説明しているけど、人間には、何らかの道具に触れた瞬間、身体が固まる「把捉性拘束」という性質がある。これは剣でもクルマのステアリングでも同じで、クルマに乗ってステアリングを握った瞬間から、どんなドライバーだって固まっていくんだ。とくにレーシングスピードでクルマを走らせる場合は、自分の命をステアリングに託した状態に晒されているので、誰もがステアリングにしがみつきたいような心境になり、まさに把捉性拘束の最たるものになりがちだ。
 だからこそ、先のラリーの元世界チャンピオンじゃないけれど、非常に体幹部が固まりやすいんだよ。
 というのも、固まっている体幹部というのは、主観的には頼りになるしっかりとした土台として感じられるからなんだ。

藤田 たしかにしっかり感は得られるでしょうね。

高岡 だから難しい局面(コーナー)に出くわしたとき、「やばいぞ~、しっかりしろ」と自分に言い聞かせて、体幹部を固めていってしまうんだよ。でもそれを運動科学の側から表現すれば、単なる固定土台でしかないんだ。

クラゴン なるほど!

高岡 それがフリーな身体ではない、レギュラーな身体の人の典型的なパターンなので、やばくなればなるほど、固定土台を強くしていってしまうスパイラルに嵌まっていってしまうんだよ。
 その結果、身体から精神にわたる自由度が次々に奪われていってしまうんだ。

藤田 固定化されればされるほど、自由度が奪われていくわけですね。

進化の歴史をたどると、人間の身体はそもそも正円のものを操作する構造にはなっていない

高岡 もうひとつ、見落としてはならないのが、ステアリングの形状。一部の例外を除いて、ステアリングは基本的にきれいな正円を描いているだろ。

クラゴン ステアリングがまん丸なのは、昨日今日はじまったことではないと思うんですが、それがなにか問題なんでしょうか?

高岡 問題ないどころか、大ありだよ。考えてみてほしいんだけど、人間の身体は正円を描いていないし、そもそも正円を操作するようには作られていないはずだろ?

クラゴン そういわれてみれば、たしかに……。

高岡 もし、人の体が最初から身体正面に置かれた正円のものを操作するような構造になっていて、脳から正円のステアリングまでが直結していたのなら、この揺動土台・固定土台の論理が、最初から成立しなくなってしまう。なにせその場合、脳には正円のモノを回すことしか選択肢がないわけだから。
 だけど、残念ながら人間の身体はそのようにはできていない。
 進化の歴史をたどってみると、太古の昔は手足もない、魚類として水の中を泳ぎ回っていて、そこから陸に上がってからもものすごく長い時間を四足歩行動物として過ごしてきたわけだ。その過程では、ステアリングのようなものを正面で動かすこととまったく無縁に暮らしてきたわけだから、論理必然的にステアリングを回すのに適した身体は持ち合わせてはいないんだよ。

藤田 直線や角ばったものより、丸いもののほうが有機的だというイメージがあったんですが、いまのお話を聞くと、丸いステアリングというのはそうとう不自然なものですね。

高岡 みんなが誤解しやすいのはそこなんだよ。丸いものって美しいよね。ステアリングにしても、タイヤにしても、お盆にしても、満月にしても、日の丸にしても、丸いものは無条件に美しく、しかも見慣れているので、丸いものは動かしやすいものだと、すっかり思い込んでしまっているんだよ。

体幹部全体がゆるゆるバラバラになってはじめて、正円どおり動かせるようになる

クラゴン でもお言葉ですが、ステアリングなどは、扱いやすいように丸にしたのではないでしょうか?

高岡 そりゃ、三角形のステアリングよりは、丸いステアリングのほうが動かしやすいよ。実際、動かしやすくとことん整理した結果、今日のあの丸いステアリングにたどり着いたはずなんだけど、しかしながら、驚くべきことに人間の身体はその正円に沿うようにはできていないんだよ。
 さっきもいったけど、進化の歴史のなかで正円を動かすことは、ほんのつい最近まで一度もやってこなかったんだから。およそ一千万年前の一番身近な猿の時代だって、ステアリングをさばくように動かした経験はないでしょ。だから最初から人間のDNAの中には、ステアリングをまわすようなプログラムは入っていないのは明らかなんだよ。
 そうした前提条件があるなかで、ステアリングのような正円を、正円どおり手が矛盾なくトレースしていくにはどうしたらいいのか。
 手を正円に矛盾なく動かすには、じつは手首、肘、肩の3箇所の関節だけでは足りないんだ。
 手首、肘、肩関節だけで手を正円に動かそうとすると、所どころで動きがつっかえてしまうからね。
 わずか1センチ動かすだけでも、つっかえつっかえ、ギクシャクしながら動かしている。それをつっかえずに動かすためには、もっと関節の数を増やすしかない。
 そして関節の数は、身体の外には増やせないので、身体の内側、つまり体幹部側に増やしていくしかないんだよ。

藤田 だから体幹部をゆるめて、揺動支点化していく必要があるんですね。

高岡 そういうこと。肩関節が中心でそこで動きが止まっていたら、動員する関節の数は増やせないので、まず肩関節を自由に動くようにゆるませて、さらに鎖骨を動かして関節化し、肩甲骨も止まっているとダメなので、肩甲骨も動かし、それでもなお足りないので、肋骨もバラバラにして、最終的には背骨も一本一本分化させていく。
 そうして体幹部全体がゆるゆるバラバラになってしまえば、関節は無限に増えたことと同じになるので、身体も腕も矛盾なく正円どおり、無抵抗でいくらでも動かせるようになるわけだ。

クラゴン ステアリングをまわすということの背景には、そんな深いメカニズムがあったんですね。

高岡 簡単な動作論としても、まずこういう状態になって、はじめてステアリングの形どおり、矛盾なく身体が動かせる=ステアリングが動いてくれるようになるんだよ。

藤田 一見簡単そうに見えるステアリングさばきで、どうして上級者とビギナーであれほどの差がつくのか、ようやく理解ができました。

認知も動作も一体的に高度化してこそ得られるフリーの世界

高岡 もっと重要なのは、そうした矛盾のない動作ができるときに、人間の脳ははじめて矛盾のない正しい認知判断ができる仕組みになっているということ。身体の使い方に矛盾があると、身体に足を引っ張られて、認知判断する力にもブレーキがかかってしまうんだよ。
 クラゴンならわかると思うけど、身体がアップアップでオーバーフローしかかっているときは、ブレーキをかけないと危ないでしょ?

クラゴン まったくそのとおりです。本気で危ないと思います。

高岡 だから身体のキャパが限界になると、それ以上スピードが出せなくなって、速い人にはついていけなくなるんだよ。クルマやタイヤの物理的な限界には余裕があったとしても、身体の動きに矛盾が生じると、それを修正しなければならなくなるので、身体のつじつまが合うペースまで落とさざるを得なくなるというわけだ。
 逆にいうと、修正しなければならないような身体の使い方をしているから、修正しなければならないコーナリングしかできないってことだね。

  • クラゴンの運転したルノークリオ
  • 矛盾のない身体の使い方ができてはじめて、
    人間の脳は矛盾のない正しい認知判断ができる

藤田 それにしても、人間の身体が正円のステアリングに沿うようにはできていなかったとは、思いもしませんでした。考えてみれば、猿だって棒のような物は握ったりすることがありますが、丸い道具は猿と人類が分かれてから、かなり時間がたってから使い出したものですから、棒状のものを操るより、よっぽど難しいわけですね。

高岡 棒のほうが原始的だからね。そういう意味では、人間だってステアリングを操作するより、木に登ったりするほうが、ずっと得意なはずなんだよ。
 だけど、棒を持って振るようなことはじつはあまり得意ではなく、いわんや刀のようなものを持って身体を使うのはけっして得意ではないんだ。

藤田 棒を動かすのではなく、棒側は静止した状態で自分側が動く、枝渡りのようなことをするほうが得意なんですね。

高岡 そうなんだよ。こうして丸く動かすのは(実演)、簡単なことではないんだよ。

クラゴン うお~、今の動き、普通の人にはできませんよ。まさに正円で無抵抗な動きでした。実際にステアリングも何もない空間で、あそこまで美しい正円を描けるとは…!

藤田 ホントに。いままで高岡先生のようにまん丸に、そしてスムーズに円を描いてステアリングを回すことができた人を見たことがありません!
 ワタシもクラゴン主宰のドライビングスクールや雑誌の紙面で、ステアリングワークについて一通りレクチャーしてきましたが、教えた後でもやはりぎこちなかったり、円がいびつになったしまう人を少なからず見かけます。そういう人は、体幹部が固まって使えていないから、円がいびつになってしまっていたんですね。

クラゴン 関節を増やすという発想は、「なるほど」って納得してしまいました。

  • スムーズに正円を描くようなステアリング操作を実演
  • スムーズに正円を描くようなステアリング操作を実演

高岡 けっきょく、認知かつ動作ってことだね。認知と動作は別々なものではなく、一体的に高度化していくものなんだ。

藤田 動作だけ、操作だけ教えても、真の上達にはつながらないってことですね。

高岡 そう。認知も動作も一緒に高度化してこそ、達人の境地、フリーの世界になってくるんだよ。

クラゴン すごく勉強になりました。

「自者中心運動構造」から「他者中心運動構造」へ

高岡 すごく勉強になっただろ(笑)。だから、「剣聖の剣」はこれからもしっかり取り組んでいくといいよ。
 スポーツドライビングとすごく共通している面があるからね。「剣聖の剣」の講座でも、いくつかの“型”を使って学ぶ場面があるよね。相手が打ってきたときに、自分の二刀が相手の一刀に接触して、そこで力学的な運動量がいろいろな方向に発生する。
 そのときに、自分で剣の方向なりを操作しようとするとダメなんだよ。
 私が誰かを相手にその“型”をやってみせると、結果としてはある動きをすることになる。
 そして、その動きを見た受講生はどうするかというと、その動きをなぞろうとする。
 でもそれをやってしまうと、武蔵の動きは永久に再現できなくなる。動きは単なる結果であって、本当に大事なのは、さっきから言っている認知かつ動作なんだよ。
 つまり、ゆるゆるにゆるんで、地芯に乗って、相手にピタ~と寄っていく。そのとき腕は自然に上がっていき、剣と剣が触れ合う。触れるとそこで相手からの運動量が伝わってきて、その力を受け取ったときにこちら側があるゆるみ方をしていると、剣は勝手に動き出し、相手の急所を切っている……。
 非常に複雑な動きをしているんだけど、それは意図的に作った動きではなく、その動きに身体が勝手になじんでいくのが、本当の武蔵の動きなんだ。そして気がつくと、ある場合は長刀が相手の頚動脈をスーッと切り抜けていって、切られた相手も「あ~、切られて死ぬってこういうことなんだ~」という実感が湧いて、武術系の修行者だと思わず快感に浸れたりするわけだ(笑)。
 その点、クルマのドライビングも物理現象なのだから、もっとわかりやすいよね。その状態に預けてしまえば、武蔵のいう「きりよきようにきる」動きになってくるはずだからね。

  • ゆるゆるにゆるんで地芯に乗り切れば、
    剣は勝手に相手の急所を捉えてしまう

藤田 たしかにクラゴンの走りを去年と今年で比較してみると、先生のおっしゃる「自者中心運動構造」から「他者中心運動構造」へかなり移行してきた印象があります。

高岡 そこが肝心なところなんだけど、この「他者中心運動構造」というのが、なかなか皆さん理解できないんだよね。
 「他者中心運動構造」というのは……。

第7回(2010.10.19掲載予定)へつづく>>

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