2009年ニュルブルクリンクレースを語る 高岡英夫×クラゴン×藤田竜太鼎談
- 高岡英夫
運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、人間の高度能力と身体意識の研究にたずさわる。オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」を開発。
- クラゴン
- レーシングドライバーとして世界最高峰のサーキット、ドイツ・ニュルブルクリンクでのレースで活躍するなど、専門筋をうならせる傍ら、ドラテク鍛練場クラゴン部屋を主宰し、一般ドライバーの運転技術向上にも取り組む。「クラゴン」は日本自動車連盟に正式に登録したドライバー名。ゆるトレーニング歴は9年。
- 藤田竜太
- 自動車体感研究所(ドライビング・プレジャー・ラボラトリー)所長。自動車専門誌の編集部員を経て、モータリング・ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。ゆるトレーニング歴も10年以上で、某武道の指導者という顔もある。
世界一過酷な耐久レースで超次元のスピードを可能にした「ゆるトレ」(5)(2010.02.16 掲載)
筋トレに打ち込んで身体を固めてしまった選手は、身体だけでなく脳活動まで低下させてしまった
高岡 シューマッハよりはるかに遅いのに、肉体トレーニングだけはシューマッハ以上という日本人ドライバーの話は、そのまま聞いただけで誰でも笑える内容だけど、運動科学的に深層が見えてくると、さらに笑うどころか泣かなければならない話になってくる。つまり、彼らはF1にステップアップし、フィジカル面で壁にぶつかったわけだよね。そのとき、「身体が持たない、だったら筋トレ」と短絡的な発想を採用してしまったがゆえに、本質的な力を失ってしまったのだから。
クラゴン 筋トレで身体がたくましくなった一方で、身体が固まってしまい、身体の中のG変化を感じる各種センサーが鈍くなってしまったということですか。
高岡 そういうこと。さらに厳しい言い方をすると、ここで話題に出てきたGの変化を感知する能力などは、けっきょく脳活動に支えられているわけだよね。ということは、筋トレに打ち込んで身体を固めてしまった選手は、身体だけでなく脳活動まで低下させてしまったということになる。だから、そうした身体を固めるようなトレーニングは、絶対的にタブーであって、百害あって一利なし。
藤田 やっぱり、首まわりはシューマッハより太くなってはいけないと。
- 筋トレに打ち込んで身体を固めてしまった選手は、
脳活動の低下によりG変化を感じる各種センサーを鈍らせてしまう
(上記写真ではクルマの左側に強い横Gがかかっているが、
優れたドライバーはゆるんだ身体でG変化を的確に感じることができる)
高岡 それはそうだよ。かつて日本人F1ドライバーが取り組んだそうしたトレーニングというのは、身体を固めて脳機能を下げることが明らかなのだから。単にトレーニングが無意味であるだけなら、お好きにどうぞといえないこともないけれど、これらのトレーニングはやればやるほどマイナスにしかならないのだから。
クラゴン 恐ろしいハナシですね。
クラゴンというまったく予期せぬ強敵がチームメイトとして現れてしまったために…
高岡 ところでその驚愕の予選はともかく、決勝レースのほうはどうだったの?
クラゴン じつは、決勝はもうひとりのペアドライバーがスタートを担当し、ボクはレース中盤からゴールまでを担当する予定だったのですが、そのスタートドライバーが走行中にギアボックス(トランスミッション)を壊してしまい、ボクの出番まで回らずにリタイヤしてしまいました……。
高岡 えっ、ということはクラゴンは決勝では一周も乗ることができなかったんだ(笑)。
クラゴン いや~、そうなんですよ(笑)。
藤田 きっとスタートを担当したもう一人のドライバーも、そうとうクラゴンのパフォーマンスに追い詰められていたんだと思いますよ。
クラゴン 日本の耐久レースだと、スポットで登場したペアドライバーに負けるぐらいなら、自分でマシンを壊してでも面子を保とうとするベテランドライバーも数は少ないですが実際に見受けられますからね。でも、ニュルでペアを組んだ彼にはそうした底意地の悪さは感じませんでしたけど(笑)。
高岡 クラゴンのいうとおり、少なくとも顕在意識でわざとクルマを壊すようなことはなかっただろうね。
藤田 相手はランキングトップのドライバーで、上位でチェッカーを受けられればそのままチャンピオンだったわけですから、おそらくわざとではないはずです。でも、クラゴンというまったく予期せぬ強敵がチームメイトとして現れてしまったために、普段だったら残していたマージンも目一杯吐き出して、クルマの負担を増やしても、なんとかタイムを削りたいという気持ちは強かったのではないでしょうか。そしてその結果がメカトラブルの発生につながったと……。
- ペアドライバーがギアボックスを壊してしまうというアクシデントにより
決勝では一周も乗ることができなかったクラゴン
高岡 それがことの真相だろうね。やっぱりそれだけクラゴンが彼を追い詰めてしまったっていうことだよ。
クラゴン なんか彼には申し訳ないような気がしてきました(笑)。
高岡 はっはっは。クラゴンが謝る必要はどこにもないよ。そうしたクラゴンのパフォーマンスを目の当たりにした彼が、そのときやるべきことは、ニュルむ、じゃなくてゆるむこと(笑)。最後はそれに尽きるんだよね。
にもかかわらず、実際は身体を固める方向に進んでしまったに違いない。なぜなら、クルマを壊してしまったわけだから。
ペアドライバーを追い詰めたのも、メカニックの判断を誤らせたのもクラゴンのパフォーマンス
藤田 なるほど。でも車載映像で確認すると、すでに練習走行の段階から、一部のギアにシフトしたとき若干異音が出ていたんですよね。
クラゴン ボクもそれは当初から心配しておりまして、レース前、メカニックたちにギアから異音が出ているから、予選はともかく耐久レースの決勝を走りきるのは難しいのでは、と指摘しておいたんですよ。それで彼らも一通りギアボックスの点検をしてくれたんですが、「たぶん大丈夫」という結論を出して、そのまま決勝に望むことになってしまいまして……。
高岡 ということは、そのペアドライバーは、メカニックがいった「たぶん」の分のマージンを使いきってしまったんだな。
藤田 あとはやはりチームの見積もりが甘かったということでしょうね。メカニックの「たぶん大丈夫」という判断は、クラゴンより一周30秒以上も遅い現地のドライバーの走りを基準にしていたはずです。でも、同じレーシングカーで30秒も速く走ったとなると、各部にかかるストレス、とくにギアボックスを含む駆動系の負担はそうとう増してしまうでしょうから、それが誤算だった可能性はありますね。
高岡 要するに、ペアドライバーを追い詰めたのも、メカニックの判断を誤らせたのもクラゴンのパフォーマンスというわけじゃないか。これは苦笑するしかないよ。
でも真面目な話をすると、どんな分野でも頂上付近レベルで、もう一歩抜きん出るというのは、凄まじいことなんだよ。たとえば、陸上競技の100m走などでいえば、世界記録2位のタイソン・ゲイ(9秒69)と世界記録保持者のウサイン・ボルト(9秒58)の0.11秒の差というのは、絶対的な違いだろう。同じように極まってきたときの、さらに先というのはとんでもないパフォーマンスの違いになってくる。実際、ウサイン・ボルトクラスになると、わずか0.1秒違うだけで、能力の差が10倍も違うということがありえるわけで、モーターレーシングの世界でも同様の認識の仕方が非常に重要になってくる。
クラゴン 向こうのチームも、いままでの経験値では壊れないはずと判断したわけですから。
藤田 少々うがった見方をすると、今回のレースが最終戦だったので、スペアパーツあるいは予算を使い切ってしまっていたという可能性も、皆無とはいえませんが……。
高岡 たしかに予算の問題は切実だろうから、そういう可能性も考えられなくはないが、仮にもランキングトップで、チャンピオンを狙う有力チームだったのだから、そうした手落ちではなかったと信じたいところだね。
クルマを所有しているチームスタッフや経験豊富なペアドライバーよりもクルマのコンディションを正確に読み取っていた
藤田 あとは、クラゴンがギアボックスにトラブルの出る予兆があると指摘したときに、もうひとりのドライバーがなんといったかが気になります。おそらく、クラゴンが「異音が出る」と報告したとき、メカニックはもう一方のドライバーにも「ヤーパン(日本人)がこういっているけど、オマエが乗ったときも違和感があった?」と聞いているはずなんですよ。そのとき、クラゴンにへんな対抗意識をもって、「いや~、オレのドライブなら問題ない」といって、チームも彼の意見に耳を貸した結果、決勝レース前にギアボックスを交換しないことにしたということも考えられるので……。
高岡 だとすれば、その固くなっていたペアドライバーが、心まで頑なになってしまったということになるね。
クラゴン 固い人間が頑なに! 固さの二乗になってしまったというわけですね。
藤田 でも、結果はクラゴンの指摘したとおりになってしまったので、クラゴンは速いドライバーというだけでなく、クルマの状態が把握できるドライバーとしても、株を上げることになったんですが。
クラゴン ボクも「きっとこのギアボックスでは壊れちゃうよ」とはいいましたけど、判断はメカのプロにゆだねていたので、その予想が的中して連中はまたまた驚いていました。
高岡 クルマを所有しているチームのスタッフや、もう何レースも戦ってきたもう一人のドライバーよりも、クラゴンの方がクルマのコンディションを正確に読み取っていたってことになるんだから、それは速さとは別の意味で評価されても当然だよね。
- ただ速いだけでなく、クルマの状態が把握できるドライバーとしても、
株を上げることになったクラゴン
藤田 ですよね。しかも壊れたのがクラゴンではなく、ペアドライバーが運転中だったというのがラッキーでした。
クラゴン もしボクが乗っているときに壊れたとすると、「アイツは速いけど、クルマを壊す」なんてことをいわれかねませんからね。フリー走行(練習走行)中の印象では、かなり丁寧にシフトチェンジをおこなっても、ゴールまでもちそうにはなかったので。だからボクも心配して、チームに指摘しておいたのですが……。
藤田 それが見事に的中して、大言壮語にならなくてよかったね。
高岡 うん。ゆるんでいるだけに“剛語”(豪語)じゃなくて、“柔語”だね(笑)。(第6回へつづく)