2010年ニュルブルクリンクレースを語る-Part2 高岡英夫×クラゴン×藤田竜太鼎談
- 高岡英夫
運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、人間の高度能力と身体意識の研究にたずさわる。オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」を開発。
- クラゴン
- レーシングドライバーとして世界最高峰のサーキット、ドイツ・ニュルブルクリンクでのレースで活躍するなど、専門筋をうならせる傍ら、ドラテク鍛練場クラゴン部屋を主宰し、一般ドライバーの運転技術向上にも取り組む。「クラゴン」は日本自動車連盟に正式に登録したドライバー名。ゆるトレーニング歴は約10年。2010年9月のVLNにポルシェで参戦。
- 藤田竜太
- 自動車体感研究所(ドライビング・プレジャー・ラボラトリー)所長。自動車専門誌の編集部員を経て、モータリング・ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。ゆるトレーニング歴も10年以上で、某武道の指導者という顔もある。
第4回 好きな講座に出て、好きなメソッドにハマったら、ニュルでポルシェに乗れた!(4) (2011.01.11 掲載)
じつは直線スピードで劣るマシンでの戦いだった
藤田 ポルシェらしい乗り方というのは、一言でいうとアクセルワークに出るんです。先ほどからクラゴンは、前を走る赤いポルシェ911GT3とバトルしていますよね。
高岡 ペースはクラゴンのほうが明らかに速そうだけど、かなりバトルが続いているね~。
クラゴン ボクももっと速くパスできると思っていたんですが(苦笑)。
藤田 高岡先生がおっしゃったとおり、コーナーになるとクラゴン号がかなり前のクルマに迫ることができるんですが、ストレートになると赤い911に離され気味になってしまって……。
高岡 この前のクルマもクラゴン号と同じ911GT3なんだよね?
藤田 この赤いポルシェもたしかに911GT3で、クラゴンと同じカップカークラスのクルマなんですが、じつは年式が違いまして、赤い911は最新型のGT3なんです。一方、クラゴン号は2007年式のモデルでして、新型のGT3より200cc排気量が小さく、エンジンパワーでいうと約50馬力も新型のほうが上なんです。
- 2007年式のクラゴン号は、新型のGT3より、
200cc排気量が小さく、エンジンパワーは約50馬力も少ない
高岡 だから、なかなか抜けなかったんだ。
クラゴン そうなんです。ニュルのレースは速度域の高いところでのバトルになるので、50馬力のパワーの差は、けっして小さくはないんですよ。おまけに、相手もコーナーではボクのほうが速いっていうのがわかっていたみたいで、けっこう巧みなブロックライン(※)を通るんです。でもそのぶん余計にペースが上がらなくて、カメラには映っていませんが、じつはボクの後ろには、何台も他のポルシェが迫ってきている状況だったんです。
※もっともスピードが乗せられる理想的な走行ライン=レコードラインより、クルマを意図的に半車身〜一車身分ラインをずらして、自分よりペースの速い後続車が追い抜きを仕掛けられないようにする、ディフェンスのためのラインをブロックラインという。あまりにも露骨なブロックは当然NG。
高岡 そうなると、クラゴンも後ろに隙を見せないように走りつつ、前を追いかけなければならないわけだ。
クラゴン そうなんです。
抜く側の立場初体験で、上手にバックマーカーを抜けたのは、まわりがよく“観えている”証拠
クラゴン でもちょうどいいタイミングで、周回遅れのクルマが出てきてくれまして。ボクはその周回遅れのクルマを利用して、後ろのクルマにアドバンテージを築いていったんです。
藤田 ニュルのように、約200台ものクルマが、さまざまなクラスに分かれてエントリーしているレースでは、速いクルマと遅いクルマのペースが大きく違うので、ポルシェのように速いクルマはたびたび遅いクルマを抜いていかなければならなくなるんです。そうした周回遅れにされていくクルマを、バックマーカーというんですが、そのバックマーカーの処理の仕方が、かなりタイムに影響し、重要なポイントになってくるんです。
クラゴンは、そのバックマーカーの処理がかなり上手だったので、それで後続車とのリードを稼いでいったわけです。
クラゴン ボクはできるだけ自分のペースを維持したままバックマーカーを抜いて、後続車はバックマーカーに捕まってしまうというタイミングが多かったもので。
高岡 当然それは狙ってやっていたんだろ。
クラゴン ええ、まあそうです(笑)。でも、これまでボクが乗ってきたクルマは、ポルシェやBMWなどのトップ集団に抜かれる側のクルマばかりだったんで、ニュルで抜く側の立場で走るのは、今回がはじめてだったんですけど。
<映像時間:1分21秒>
ポルシェの280kmを越える直線スピードと
クラゴンの鮮やかなバックマーカーの処理に注目!
高岡 初体験なのに、上手にバックマーカーを抜いていくもんだね。これはやはりまわりがよく“観えている”証拠だよ。自分を含め、前後左右の数台のクルマの位置が正確に捉えられていない限り、躊躇しないで、鮮やかにバックマーカーを抜いていくことは出来ないだろうからね。
クラゴン なるほど。
ポルシェの聖地ニュルで、本場の一流ドライバーたちと互角以上のレースをした日本人は、おそらくクラゴンが史上初
高岡 だって、まわりの連中もニュルをホームコースにしている、筋金入りのポルシェ・ドライバーばかりなんだよね。そのなかで、これだけのパフォーマンスを発揮できる日本人ドライバーがこれまでいたとは思えないからな。
クラゴン ボクより前に、ニュル24時間やVLNにポルシェで出場した日本人も、何人かいると聞いていますが……。
高岡 その人はクラゴンみたいに現地のチームから実力を買われてのエントリーだったのかい?
藤田 いや、ほとんどがタイヤメーカー等の後ろ盾があったからこそのエントリーだったと思います。
高岡 そうだったと思うよ。言い方は悪いけど、そういうドライバーは現地のチームからすると“お客さん”だよね。そうしたことを考えても、ポルシェの聖地ともいえるニュルで、本場の一流ドライバーたちと互角以上のレースをした日本人は、おそらくクラゴンが史上初めてだったんじゃないかな。
クラゴン どうなんでしょうか……。
高岡 モーターレーシングに限らず、スポーツ全般にいえることだけど、タイムや順位の記録は残っても、こういう真のパフォーマンスについては、この鼎談で語ってきたような詳細な分析をしない限り、記録には残っていかないし、残らないからね。
でも、私のように人間の能力に関する研究をおこなっている科学者は、こうしたところを見ていかなければならないんだよ。
通常のメディアで紹介される記録というのは、当然一般の人々の目にもとまるし、それゆえ国民や社会にも注目されるわけだけど、科学者までそれだけを見ていたんじゃあダメなんだよ。
なぜなら表に出ないで、実際にクラゴンのような活躍をしている選手だっているわけだから。
藤田 目に見える結果、わかりやすい結果だけ追いかけてしまうと、本質を見落としてしまう可能性があるわけですね。
高岡 科学的に見れば、メディアが大きく取り上げるパフォーマンスだけが、価値があるわけではないんだよ。とくに人間の能力の研究に携わる研究者にとってみると、誰が見ても能力が高いという人物を指して、「この人は能力が高い」と評価しても、それはメディアレベルでしかないわけだよ。
クラゴン それなら研究者でなくてもできますからね。
高岡 そういうこと。
科学者として大事な仕事は、低い能力と高い能力をきちんと比較して、その中間の領域をちゃんと全部説明できること
高岡 だから研究者には大事なことが二つあるんだ。ひとつは高い能力をみて、その能力の中身のメカニズムを、あたかもクルマのメカニズムを話すように、説明できるかということ。科学者の場合、それは「天分なのでは」とか「努力の賜物でしょう」といった表現では済まされないからね。
はっきりいって、それしかいいようがないのだとしたら、科学者としては試合放棄ということになるじゃないか。
クラゴン まったくです。
高岡 だから、突然すごい能力を目の当たりにしたとき、それをどれぐらい整合的な論理をもって説明できるかで、科学者の評価は変わってくるんだよ。これがひとつ目の話。
もうひとつ大事なことがあって、じつはこっちのほうが圧倒的に重要な話なので、よく聞いておいて欲しい。
それはどういうことかというと、低い能力と高い能力をきちんと比較して、その中間の領域をちゃんと全部説明できるかどうかということなんだ。
藤田 なるほど。
高岡 低い能力と高い能力に関しては、誰でもわかりやすいはずなんだけど、その両者の間には固定的な段階がそれぞれあるわけではないんだよ。だから、理路が通れば、たとえ現時点では能力の低い人だって、高い能力に向かってひとりの人間が歩んでいけるものでなければおかしいんだよ。
だとすれば、その歩んでいくプロセスを説明するのが、科学者の本当の仕事ということになる。
それが説明できれば、イコールその高い能力の再現性は、ほぼ半分確立されたといってもいいよね。
だから、クラゴンのこのニュルブルクリンクへのチャレンジというのは、私が関心をもっている、というのではなく、科学者として関心を持たなければならない事柄なんだよ。
そして科学者には、パフォーマンスの分析と向上の過程を説明していく責務があるんだよ。
そのことをぜひ、皆さんにも知っておいてもらいたいな。
なかには、私がこうしてニュルのレースに関する鼎談をおこなっているのは、自分が作ったメソッドに取り組んでいる選手が、国際舞台で活躍しているので、いわば身びいきで、関心をもって説明しているのでは、と思っている人もいるだろうけど、私の真の目的はそんな小さなところにとどまってはいないんだよ。
第一、その程度の意識で自分が仕事をして生きているとしたら、そんな科学者の下で、これだけ圧倒的な上達、進化を起こす選手を育てるような理論とメソッドが、生まれてくるわけがないじゃないか。
クラゴン おっしゃるとおりだと思います。
高岡 つまり見るための立脚点がぜんぜん違うってことなんだよ。
旧モデルで出場したチームの中では、じつはクラゴンがNo.1のタイムを出していた
藤田 いや~、勉強になります。メディア関係の仕事をしているワタシがいうのもなんですが、本当に普通のメディアというのは、大事なことの何分の一も伝えきれていないんですよね。今回のVLNのレースにしても、わかりやすい結果だけみると、クラゴンの活躍もたいしたパフォーマンスには見えないんですよ。
クラゴン 予選もけっきょくカップカークラスで10位でしたから。
藤田 これも数字だけみると、「なんだかんだいってクラス10位じゃないか、大したことないな」ってことになりがちなんですが、記録に見えないパフォーマンスが、じつはすごいことになっていたわけですよ。
高岡 そういうことだよね。
藤田 でも、先ほど説明したとおり、クラゴンのポルシェは旧モデルの3.6L、約420馬力で、最新モデルの911GT3は3.8Lで470~480馬力もあったわけです。だからクラス10位といえど、1~9位のクルマはすべて新型の911GT3だったので、旧モデルで出場したチームの中では、じつはクラゴンがNo.1のタイムを出していたんです。
高岡 新型モデルと旧型モデルの物理的な差を考えたら、与えられた道具の性能は十分出し切れていたってことだよね。
藤田 さっきクラゴンが、「もう一周アタックできれば10~15秒はタイムアップできた」なんて話(前回の鼎談第3回を参照)をしていましたが、あと2秒縮めるだけでも、上のクラスのBMW・Z4を上回っていたぐらいですから、チームもあれ以上のタイムなんて望んじゃいなかったわけですよ。
クラゴン チームはあのタイムでも十分たまげていたぐらいですから、それ以上のことは間違いなく望んでいなかったでしょうね(笑)。
藤田 要するに、チームとしては望みうる最高の結果だったということです。
高岡 物理的条件から出来ることは、すべて達成したというスタンスだったんだろうね。
藤田 そうみたいです。
- 予選カップカークラス10位という記録も
新旧モデルの差を考えれば、望みうる最高の結果だった
予選のパフォーマンスに大満足したチーム側からきたクラゴンの望まないオーダーとは?
藤田 でもチームがその予選のパフォーマンスに大満足してしまったために、そのあとチーム側からクラゴンの望まないオーダーがきてしまいまして……。
高岡 クラゴンの望まないオーダーというのは?
クラゴン じつは監督さんから決勝のスタートドライバーに指名されまして……。
高岡 予選でチームメイトを圧倒するタイムを出していたんだから、それは当然の要請じゃないのか。
藤田 でも当初クラゴンは、頑なに断っていたんです。
クラゴン だって、ポルシェでまだ3周しかニュルを走っていなかったし、おまけに決勝前には天気も晴れて、路面も乾いてきたんです。路面が乾けば、当然タイヤも晴天用のミゾのない、レーシングスリックを履くわけです。でも、ボクはポルシェでスリックタイヤを履いた経験がなかったわけで、そうしたなかでスタートを担当するのはとってもアブナイと思ったんですよ。
これはなかなか伝わりにくいと思うんですが、ニュルブルクリンクでおこなわれるこのVLNというレースには、全部で約200台のクルマが出場していて、そのうちの上位50台の争いは、ホントにシビアでハンパじゃないです。
さっきの動画をご覧になればわかると思いますが、コースもえらいタイトで抜きづらいので、みんなできるだけスタートやオープニングラップで前に出ようとするんです。それだけにスタート前後に多重クラッシュが起きることも珍しくないので、ボクはそんなリスキーなパートは担当したくないと主張したのですが、チームに聞き入れてもらえなくて(苦笑)。
- チームメイトを圧倒したタイムを認められ、
監督から決勝のスタートドライバーに指名されたクラゴン
藤田 それはまともな監督なら聞き入れないでしょう(笑)。VLNは4時間耐久レースで、途中でドライバー交代もあるけれど、24時間レースに比べれたら、クルマの余力を考える必要はないわけで、実際は耐久レースというより4時間連続のスプリントレースというべき内容ですから。
そうなると、スタートからヘンな駆け引きは不要で、スタートドライバーをそのチームのエースが担当してできるだけマージンを稼ぎ、セカンドドライバー以降は、エースからバトンをもらったときのポジションをどれだけ守りきれるか、という戦いになるわけです。
高岡 当然、それが正しい戦略だろうね。
藤田 だからクラゴンが固辞しても、監督は「オマエしかいないじゃないか。何を迷うことがあるんだ。迷わず行けよ」と叫んでいました(笑)。
第5回へつづく>>