9秒58!ウサイン・ボルトの驚異的なパフォーマンスの謎を解く
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。
一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
世界最速男ボルトの秘密は、”トカゲ”走りにあり!(2009.08.18 掲載)
※この記事は『週刊文春 2008年10月23日号』(文藝春秋)で高岡英夫の論考として発表したものを、図の指示のみ修正し、転載したものです。
北京五輪陸上百メートルにおいて9秒69という世界新記録を出し金メダルを獲得したウサイン・ボルト(ジャマイカ)。その動きの秘密について「究極の身体」著者である高岡英夫氏(運動科学総合研究所所長)に尋ねた。
――普段スポーツや陸上競技に関心がない人も含めて、世界に衝撃を与えたのがあのボルトの走りでした。あの走りを可能にした秘密は何だったのでしょうか。
高岡 ジャマイカの選手育成システムが優れていたからとか、常食としていたというヤムイモ(芋の一種)の効果等と言われているようですね。しかしそれらは決して彼の走りと身体のメカニズムそのものではない。私たちが本当に知りたいのは、五輪でのあの約10秒足らずの間に彼が見せた、走りと身体の中身のメカニズムですよね。
私は、実は彼の走りを成立させているメカニズムについて既に今から5年前の2003年に論文の形でインターネット上で発表しています。メディアをはじめ走りのメカニズムについて、また身体運動に関する先端情報に関心のある人たちには相当読まれた論文です。その骨子は、マラソンで驚異の世界新記録を2回更新、現在でも破られていない世界記録保持者ポーラ・ラドクリフ(イギリス)と、日本陸上百年の夢を達成した(世界選手権で日本人初のメダル獲得)末續慎吾の2人の走りのメカニズムは同じであって、それがトカゲ型の運動構造をしている、というものでした。そしてそれを称して 「トカゲ走り」と名づけたのです。その後典型的なトカゲ走りをする選手はしばらく現れず、約5年が経過したのですが、私はそろそろ、より分かりやすい形でトカゲ走り型の選手が現れるはずだと推測していました。それが今回の北京五輪でのウサイン・ボルトというわけです。
――トカゲ走りの特徴とは?
高岡 この下の3枚の図を見てください。陸上短距離で現在の世界トップ3と言われるスプリンターの身体と動きを表した図です。一目見てお分かりになる通り、タイソン・ゲイ(米)は直方体の箱のような体幹部をしています。アサファ・パウエル(ジャマイカ)もそれに近いと言えますが箱が上中下三つに分かれていて、それが多少ゆるんでずれあっているように見えますね。一方ボルトは、見てお分かりの通り全身が波状にうねっている。即ち脊椎動物で言えばトカゲや魚類のように全身が波動運動を起こしている事が良く見て取れると思います。そして全身を貫く軸を見てみると、このようにきれいな波状の線が描けます。
そしてそれは、ラドクリフ、末續慎吾(下の図参照)についても同じです。マラソンと短距離という種目毎の特性が現れていますが、いずれも彼らのハイパフォーマンスを可能にしているのは、トカゲ型の運動構造なのです。
――トカゲのような一見ウネウネした動きとは一体何なのでしょう。
高岡 人類の進化の過程を遡っていくと、四つ足で歩行する哺乳類、爬虫類、魚類に至ることはご存じだと思います。そして、直立二足歩行となった私たち人間のDNAの中には、今でもこれらの生物の運動構造についての情報が保存されている。そしてそのスイッチを入れることができれば、人間は格段に優れた心身の能力を発揮できるというのが、私の提唱する「運動進化論」です。
しかもトカゲのように全身をウネウネと波打たせることは、脱力、すなわち身体を極限までゆるませないとできません。現代社会でふつう我々は、このようにウネウネとしながら生活することはありません。誰でも身体を直方体の箱状に固めてキッチリとした姿や態度で行動する事が暗黙の了解となっています。ところが実はそのことが人間の心身の能力や健康度を低下させているということが、私共の研究で解明されつつあります。ボルトがみせた100メートル決勝のスタート前の態度、動きを憶えていますか。「本当にこれから五輪の決勝で走るの?」と言いたくなるような、能天気なフラフラヘニャヘニャとした動きと態度でしたね。
ここで大事なことは、このような動きと態度をしていた人間が圧倒的なナンバーワンだったという、否定しようもない事実です。
このことは「人間はそもそもそのような動きをしていたほうが有能でいられる」ということの端的な証明に他なりません。ここで証明された有能さの中身は狭い意味の身体能力と考えられがちですが、集中力、平常心、葛藤を整理する能力等に代表される精神諸力を含むことは明らかです。
これらについての科学的詳細な論説は著作およびサイトで発表していますので、興味のある方はそれらにあたっていただけるとありがたく思います。 (了)
末續慎吾研究(2003年公開論文)
ポーラ・ラドクリフ研究(2003年公開論文)