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高岡英夫の新刊座談会

【発売たちまち増刷決定!】

高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』座談会

【座談会参加者】

高岡英夫

(運動科学総合研究所所長/
『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』 著者)

  • 北郷秀樹
  • 北郷秀樹さん
  • (会社経営者/
    剣道教士七段)
  • 藤田竜太
  • 藤田竜太さん
  • (自動車体感研究所
    所長/武道指導者)
  • 斎藤正明
  • 斎藤正明さん
  • (旅行会社企画担当/極意武術協会)
  • 長谷川尚美
  • 長谷川尚美さん
  • (ゆる体操指導員/
    舞台俳優)

高岡英夫の新刊座談会(1)(2009.06.09 掲載)

編集部 今回は「マルクロ武蔵論」に続き、新刊キャンペーンの特別企画第2弾です。高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?「五輪書」に隠された究極の奥義「水」』の魅力を語るというテーマで本書をお読みになった4人の方に、著者を囲んでの座談会を行なっていただきます。今週から数週間にわたってその模様をお届けします。お集りいただいた4人の皆さんは武蔵の身体意識・操法と剣技を学ぶ『剣聖の剣・宮本武蔵』にもご参加されているということで、非常に中身のあるお話を伺えるかと思います。どうぞよろしくお願いします。

武蔵が真剣勝負を重ねるたびにどんどん優れていったという今までの常識が根本から覆された

斎藤 高岡先生が新刊『武蔵は、なぜ強かったのか?』で内側から見た武蔵、武蔵の内側に隠されたメカニズムの秘密について言及されているのですが、今まで私たちが読み解けなかった武蔵の内側の世界がびっしり書き記されていて、たいへん面白く読ませていただきました。

 通常の常識的な見方からいえば、武蔵が真剣勝負を重ねるたびにどんどん優れた剣士に成長していって、巌流島の戦いが武蔵のピークであり、そうであるが故に、その後真剣勝負から離れていった、というふうに考えられていたわけですよね。でも実際はそうではなかった。本書を読んだことでそのような常識が根底からひっくり返されました。まさか武蔵がこのような上達プロセスを歩んだとは、今まで誰にも想像もできなかったことですからね。

 私が本書を読み終えたときに感じたのは、武蔵に対しての深い共感と、修行、今日的にいえばトレーニングですが、そうしたことに対する非常に高いモチベーションです。あの剣の天才武蔵でさえも壮大な悩みを抱いていたということで、とても共感を持てましたし、一方でいえばうれしくもありました。それと私ももっと本質に立ち返って稽古に励まなければと、人生を律する強い気持ちを持ちましたね。

長谷川 高岡先生が「心を広く直(すぐ)にして」というくだりを最初に選ばれたのが、すごく腑に落ちました。この言葉通りなんだなと読み解きに納得しました。まず広い心があって、その中にもう一つの心があると。そして身体と精神、その間の身体意識のことが『五輪書』に論理構造としてズバリ書かれていたことが理解できて、あらためてゆるむしかないんだなというのがしみじみ感じられました。

 高岡先生によって読み解かれたこの文章の奥に潜む論理が本当に面白い。これが剣の道を極めると同時に、あらゆる領域の真髄も極めていった宮本武蔵が、最終的に辿り着いた天理であり、「ゆるむ」、「水のようになる」ということの具体的中身なんだと強く感じました。私も斉藤さんと同様、トレーニングのモチベーションがものすごく上がりましたし、ゆるむということの本当の奥深さを感じました。

 ゆるトレーニングの大切さはもちろん以前からわかっていたんですが、これだけあらゆることに応用が利いて、壮大な背景があるという事実は知りませんでした。真剣勝負を60余度戦い抜いたという、極限状況を乗り越えた人の持っている重みというものが、身に染みましたね。

読み違うから真実がわからないし、反感に繋がり、たいしたことないという評価になってしまう

藤田 私の場合、ずっと武術・武道が好きでいろいろな勉強もしてきたのですが、私の中で武蔵が好きな部分と、どうしても好きになれない部分が共存していたんですよ。結局、なんで好きになれない部分があったのかというと、『五輪書』の中を読み違えていたということに気がついたんです。

 高岡先生の新刊で書かれていることを取り上げるとすると、宮本武蔵ほどの人が書いたことを現代人の我々が常識的な解釈ですんなりと納得できそうになったときほど待てと、そういうことですよね。そういう向き合い方をしていかなければ、本当の武蔵は読み解けないんだということが、本書で明確に指摘されていて、私はガーンとショックを受けると同時に「なるほど、そういうことか」と腑に落ちたんです。

 また全体を通して「武蔵って、ここまで親切だったのか」と驚き、武蔵との付き合い方の中では、間違いなく一番大きな転換点になっていくのではないかと思います。

高岡 私も藤田君と同じですよ。本サイトの「マルクロ武蔵論」には書かせてもらったんだけど、やはり90年代前半ぐらいの頃って、『五輪書』の個々一つ一つの文では、わかり切っていないところもそれなりに残されていたんですね。

 その中には、読み違いも当然あるわけですよ。読み違えているから、わからないわけです。逆にいえば読み違えていなければ、わかるんですよね。読み違えると人間どうなるかというと、だいたい反感に繋がるんです。その結果、人はしばしば『五輪書』を読んでも、「なんだ、たいしたことないじゃないか」という結論になるわけです。今から思えば、じつは僕の中にもそういうところがあったのです。

 でも一方、「マルクロ武蔵論」では語ったことですからここではクドクド話しませんが、やっぱり『五輪書』全編を読んでいって、やさしい言葉でいえば直観的に、部分部分ではわからないのに全体としては自分の中に生まれてくる様々な洞察よりももっと深いものが確かにあって、それに従って稽古をしていく中で自分の身体から発見したことがたくさんあったんですね。「これは武蔵すごいな…」と。自分の身体から発見しなおした武蔵が凄かったんですね。

 そういう事実があるにもかかわらず、その頃『五輪書』で読み解いたときの武蔵の評価が、じつはたいしたことなかったんですよ。だから状況としては、どこまで読み解けていたか程度の差や具体的な中身に違いはあるかもしれませんが、藤田君と同じなんですよ。おそらくほとんどの人がそうなんじゃないですかね。

道具と人間の関係性というのは、現代人の我々が考えているよりもはるかに奥深い豊穣な世界がある

北郷 そうですね。身体のつかい方一つ一つをとっても全部がそうです。

高岡 足づかいとか、手づかいとか、そんなところでさえ、皆さん読み違えるわけですからね。

北郷 剣道界のほとんどの人が読み違えていると思いますね。たとえば高岡先生の概念でいうと「踵推進」がまったく理解できないでいます。

高岡 足づかいについて語っているんだから、浮き足、つまり前足のことだろうと思ってしまっているということですか。

北郷 そうです。そのことがズバリ指摘されていて、私はびっくりしたんです。この前も知り合いの剣道家とそのことについて話したのですが、いまだにわからないようです。「踵推進」という感覚がわからないんですね。

高岡 やはり軸足ではなくて浮き足、前後でいえば前足、つまり皆さん動かす方の足に意識がいってしまっているということですよね。前足に志向意識の荷重がひどく掛かっているわけですから、それだとたしかに「踵推進」という軸足、後足の感覚はわからないでしょうね。手の方はどうですか。

北郷 手も同じような状況ですね。本書を読んで私がびっくりしたのは、肋骨からゆるめていくという箇所です。

高岡 あれは武蔵が直接書いているわけではないのですが、剣道の方でおやりになっている北郷さんなら、よく理解していただける話でしょう。

北郷 はい、大変よくわかります。

高岡 指先、とくに一番敏感な親指と人差し指で刀でも板切れでも重みを感じようとしたら、まったくダメなんですよ。皆さんどうしてもそちらの方に陥ってしまうんですね。

藤田 私もこれに関連したテーマでいうと、ものを把捉すると固まるという「把捉性拘束」の話がとても新鮮でした。私が行ってきた武道は徒手なので、武器をつかんだり、握ったりすることはないのですが、私のもう一つの専門である車の話でいえば事前にどれだけ身体をゆるめていても、車に乗ったり、ハンドルをつかんだ瞬間に固まるということは、言われれば確かにあるんですね。

 そうした観点に立つと、ハードとして車を見ていったときに、良い車というのは「把捉性拘束」を人間に起こさせる度合いが低いものだと思うんですね。ダメな車ほど、乗った瞬間に身体固まってしまう。どんなに一所懸命身体をゆるめていても、ものに触った瞬間、身体が固まってしまう宿命、メカニズムがあるということをわかっただけでも、目からウロコが落ちましたね。

高岡 それは実際の刀、真剣においてもまったく同じですよ。良い剣ほど身体をゆるませてくれるものなんですね。私が経験したことでいえば、私が触ったことのある江戸時代以降の刀で良いものはなかったですね。だからたいへん失礼な言い方になってしまうんですけれど、現代の刀工の作ったものは「刀の形をしただけの別物」になってしまっていますね。

 一方、室町時代の刀の中には、触れる前からこちらがゆるんでしまい、触れたらますます深くゆるんでしまうものがあるんですよ。持ち手から変わってしまうし、それこそ肋骨の中までゆるみ切ってしまって、「おー、動きやすい、動きやすい」というふうな感じで勝手に身体が動けてしまうんですよ。もっともこれは持つ側の人間自体のゆるみ度と反応力にも拠ることですけどね、当然のことですが。

 道具と人間の関係性というのが、現代人の我々が考えているよりもはるかに奥深い豊穣な世界があるということを、武蔵は言ってくれているんですね。

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