身体の可能性をひらく達人調整 文:高岡英夫
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
Part1 達人調整とは何か
身体調整とは
「身体調整」とは何でしょうか。私は「身体で直接相手の身体と触れ合って、相手の身体や心の状態を良い方向に変えること」であると考えています。拙著の『身体調整の人間学』(※)の「はじめに」で述べていますが、子供が転んで膝小僧をぶつけて「痛い」と言っているのを見て、お母さんが「よしよし」とさすってあげる、これが調整というものの原点でしょう。赤ちゃんが泣く、お母さんが抱いてあやす。これもさらに調整の原点といえるでしょう。まずそうやって考えてみて下さい。
身体調整というものは、「身体と身体が触れ合う」ということが基本的条件となっていますので、スキンシップが乏しくなり、それによって様々なひずみが露呈されてきている現代社会の中で、ますます重要性を増してきていると考えられます。
※『身体調整の人間学』(恵雅堂出版)1988年刊
高岡英夫監修・著、佐々岡潔・斉藤孝著
- これまでの身体調整の「壁」を打ち破る
破れなかった「壁」
身体調整の分野では、様々な考え方や、術技の構造においても様々なバリエーションが存在しており、私もそれらを施し手として自ら経験してきました。そうした経験を積む内、この身体調整という分野の歴史の中で、今までの考え方や方法では破ることができなかった、ある「壁」があることに気がつきました。その壁を破る一つの体系として、「達人調整」という考え方と方法を私が考案し、完成に向けて努力を積み重ねてきたのです。
破れなかった「壁」とは、何でしょうか。
今までの身体調整では、「施し手と受け手」、用語は「治療者と患者」でも何でも良いのですが、調整をしてあげる立場と、してもらう立場、そういう2つの役割ができている。そして施し手は気力体力を費やし、それによって受け手が精神的あるいは身体的に、良い方向に変わっていく、そういう運動でした。つまり受け手は良くなる。施し手は、その分疲労してしまうということです。疲労といっても、単純な意味でのそれではなくて、体だけでなく心、潜在意識下の状態が悪くなっていくような、そういう疲労のしかたをするのです。こういう状態の特に程度がひどいものを、「かぶる」といったりします。
まるでシーソーのように、受け手が良くなった分だけ、まるまる施し手が悪くなった、そういう関係が起こる場合さえあります。大抵の場合は、そこまでいかずに、例として数値で表現してみると、受け手が「100良くなった」時、施し手は「20悪くなった」とか「15悪くなった」とか、「5悪くなった」とか、そういう起こり方であろうと思います。
5ぐらいであれば身体調整としてはかなり良い方だと思います。いずれにせよこの分野では、実技としては様々なバリエーションがあるにせよ、「身体調整によって相手を良い状態にしようとすると、調整を行う方は自分がマイナスの犠牲を負わなくてはならない」という、避けようのない「壁」が共通して存在していたのです。
- 受け手が良くなる以上に施し手が良くなるように設計された画期的方法=達人調整
「壁」の具体的事例
この「壁」があるせいで、どういうことが起こるのでしょうか。2つの特徴的な現象をお話ししましょう。
身体調整に取り組む人たちの中で、「相手の体をなんとか良くしてあげたい」という思いを強く持ち、加えて人の体を見る深い洞察力も持ち、かつ優れた術技も持っている、そういう人がいます。どのくらい優れているかというと、例えば西洋医学を修めた医師が様々な薬や器具を駆使し、また手術をしても治すことができなかったような疾病を、触れ合うだけの手技療法を行うことにより、治してあげることができてしまうのです。
しかし、そういう人自身が意外なほど短命である、こういうことがしばしばあります。
もう一つの事例は、「壁」に気づいた若い治療師たちが、その後どういう行動をとるか、という話です。若くて希望に燃えた治療師が、患者さんに本当に良くなってもらおうと思って、一所懸命勉強して、一所懸命情熱を持って治療に取り組もうと、自負心を持って取り組んだ場合、最初の内は良いのですが、2年3年4年と経っていくと、段々身体の奥に疲労がたまっていき、「何だこれは?治療とはこんなに疲れるものなのか?」こういう感じを抱く時が来ます。その疲れ方とは、例えば山登りが好きな人が、登山から帰ってきて感じる疲れとか、あるいは会社員として、「自分はこういう仕事が一番好きだ」という仕事についている人が、仕事の後で感じる疲労とは全く性質の違う疲労です。まさに患者さんのマイナス部分を、自分が犠牲となって預かってしまう、そういう種類の疲労なのです。
そこで、治療に従事して数年経過したあたりで、大多数の治療師は、「ほどほど、そこそこにやっていく」という道を選びます。そういう中でも、患者が少しでも良くなっていくように工夫する人は、誠実な人です。そうでない人は、すっかり「こんなこと真面目にやっていたら自分が死んでしまう」と思って、適当にこなしていくようになります。ホットパックやマイクロタイザーなどの器具を使用して自分の被害をうまくかわすということもあるでしょう。
達人調整の特徴
繰り返しますが、「他人に良くなってもらうために、自分が何らかの犠牲を負ってしまう」というのが今までの身体調整が破れなかった壁です。私はこの壁を何とか打ち破りたいと常々考えていましたが、長年の研究・実践活動の中からいくつかの解決策を見出し、その中で皆さんにおすすめできる、一般性を持つ体系として、「達人調整」に到達したのです。そして現在、たくさんの人々に取り組んでいただいて、多くの成果をあげています。
これはどういう考え方に基づいているか、という話をしましよう。
「相手に調整をしてあげると、相手が良くなっていくと同時に、自分も良くなってしまう。時には受け手がよくなる以上に、自分が良くなってしまう」ということです。今まで見てきた事例と比べると、いわば夢のような発想の身体調整なのです。
どうしてそういうことが可能になるのか。施し手が行う術技自体の中に、非常に深い工夫があり、そのことでそれを達成するのです。
まず、「治療者と患者」という役割を固定的に決めずに、調整を施す側と受ける側という2つの役割を必ず交代して行うという仕組みになっています。例えば、自分が調整をしてあげた場合には、次に相手が自分に調整をしてくれるということです。この仕組みを採用する場合、術技が旧来のものだったらどうでしょう。調整を行う際、受け手が良くなるためには、施し手がある程度悪くならざるを得ないような術技であった場合です。自分が受け手になって50良くなった後、施し手になったらまた50だけ悪くなってしまう。相手は最初施し手だった時にはマイナス50で、次に受け手になった時にはじめて50良くなって0に戻ると。2人で交代してやったは良いが、やる前とやる後は何も変わらない、「時間の無駄だったね」、そういうことになってしまいます。もちろんスキンシップをし合ったという、そういうなにがしかは残るでしょうが。
これは極端な例をお話ししたまでですが、施し手になった時にマイナスが生ずる術技だと、犠牲ということが必ず起こってしまいます。達人調整では、それが全く起きません。全くです。「自分が悪くなる」という部分が一切ない。達人調整はこういう特徴を持っています。
それから、調整の術技動作、運動そのものを、「脱力」と「極意」のメカニズムで完璧を目指して築きあげるという本質的な工夫があります。「脱力と極意の原理から、完璧を目指して築きあげる」ということはどういうことでしょう。それが例えば武術であれば、「武術の動きそのものを、脱力と極意のメカニズムで完璧を目指して築きあげる」ということを端的に目標とした武術種目を私が提唱し、実際に指導して、団体として取り組んできました。また、「脱力」と「極意」そのものについては、「ゆる体操教室」や「極意」「身体能力開発」「身体意識を鍛える」など数多くの公開講座や教室で、皆さんにおすすめして多くの方々に取り組んでいただいています。それと同じ発想で、身体調整の術技という運動を、脱力と極意のメカニズムから完璧に構築していくということに取り組むのが達人調整なのです。
達人調整は、自分自身を徹底的に見つめながら行います。普通、身体調整では、「相手のことを見つめて行う」のが通例でしょうが、自分のことを徹底的に見つめながら行うのです。どういう観点で?「脱力と極意がどこまでも形成できているか」です。これは即ち、徹底的に自分を厳しく指導する、即ち俗に言う「可愛がる」姿勢で臨むということです。その結果、調整の受け手はどうなっていくのでしょうか。「調整をする人が自分を徹底的に可愛がっていたら、受け手はちっとも良くならないんじゃないか」とお思いでしょうか。ところが事実はまったくその逆で、相手も素晴らしく良くなってしまうのです。ここに術技としての深い工夫があるのです。
施し手が自分自身を、脱力と極意の観点で自分を見つめないで行った場合、即ち一見、受け手を大事にする気持ちでやっているような調整は、本質的な深い意味で、良いものにはならない。上っ面なものになってしまうのです。このことに気付いたことも、非常に大きな発見でした。受け手をよく見て、何とかその人に良くなってもらおうと考えて行う調整よりも、自分自身を大事にして行う調整の方が、より受け手が良くなっていく。つまり「本当の意味で受け手を大事にする調整」になっていく。そういう現象が起きてくるのです。
- 肩包体から肋骨がはがれ落ちる
理想の身体調整
もちろん、上達していったたその先には、自分を徹底的に見つめた上で相手のことも徹底的に大事にして見つめる、つまり2人分徹底的に見つめて行う、見事な身体調整というものもあります。さらに進めて言うと、脱力と極意が本当に身に付いた極意レベルの調整というものもあります、そこでは、施し手は脱力し、地芯に乗って立ち上がるセンターに身を任せて、様々な極意の運動が起きてくるのに任せる。当然リバースも働いてくる。相手のことも自ずと分かってしまう。自ずと運動が起きる、自ずと相手が良くなっていく、自ずと自分も良くなるという、まさに無為自然と、自分も相手も良くなってしまう。そういう境地もあるのです。真に深いレベルの「一体感」とは、こうした段階に到って初めて成立するものなのです。
しかし、皆さんが達人調整の上達に取り組んでいく時には、まず自分を脱力と極意という観点で見つめ、自分を良い状態にしながら受け手と一緒に、身体調整という関係を取り結んでいくわけです。そうすると、受け手も施し手も両方が良くなってしまうという、素晴らしい状態が成立してきます。
達人調整では、当方が指導する内容・方法に従って、怠けずさぼらず誤解せずに正しく取り組んでいただく限りは、必ず成果が出ます。非常に確度の高い体系として完成に近づいていると言って良いでしょう。
現実の参加者の皆さん自身の中には、集中しきれなかったり、やはりどこかに怠ける気持ちがあったり、伝えようとすることを誤解したり、自分流のすりかえをしてしまったり、ということが起こりがちです。
「これは青です」とお伝えしても、「緑」とすりかえて解釈してしまったり、「正三角形です」とお伝えしていても、「二等辺三角形」や「四角形」にすりかわったり、などです。現実にはそういうことが起こった分だけ、成功率は下がってしまいますが、正しく取り組んでいる度合に応じて、成功していきます。達人調整の論理と方法は、正しい方向へどんどん進んで行っていると言えるでしょう。
また、もちろんのことですが、先に述べた誤解やすりかえが起こらないよう、私どもも今以上に正確にお伝えできるようにしていくのが、当然の努力と考えています。
取り組むとどうなるか
達人調整に正しく取り組んでいただいた結果、うれしいことに治療師をやっている生徒・弟子だちから、喜びの声を多数寄せていただいています。
「患者さんが来れば来るほど楽しくて楽しくてしょうがなくなってきました。今までは、『生活のためだから患者さんには来てもらった方が良いんだけど、治療は大変だからなあ』って苦痛も感じながら治療していたんですが、今はもう、『自分が良くなっちゃってお金がもらえるなんて、申し訳ない』『気がつくと、患者さんも前より素晴らしくなっているし、こんな良いことはない。楽しくてしょうがない』という思いです」と言われるのです。治療師の方が生計を立てるために、その方が今まで学び培ってきた方法に上手く融合して、達人調整を使っている例です。
一方、治療師でない方々の間でも、達人調整の「輪」が広がっています、この方法では調整をお互いにし合うというのが原則です。交代ということを抜きに考えても双方が良くなっていく術枝を、交代して行っていくわけですから、相乗的に良くなっていくわけです。2×2が4になるというより、4×4が16になる、そういうたとえがぴったり来ます。そういう良さがあります。
それに、達人調整に取り組むと、人は互いに仲良くなれる。そういう効果もあります。調整は最初にお話ししましたように、やはりスキンシップなのです。特にこの達人調整は身体の奥深く、深部まで届く方法ですから、深部のスキンシップと言えると思います。お互いの身体の深部同士、内奥同士が、皮膚を通して交渉しあう、そういうスキンシップですから、これに取り組む方双方にとって、大変大きなスキンシップ効果があるのは当然と言えるでしょう。こういうレベルでの「一体感」も、当然大切です。
従って、これも非常に大事な話だと思いますが、達人調整に取り組んでいる方は、人が変わって来ます。人文系の科学では専門用語で親和性affinityと言いますが、身体の奥深くから人と親和する力が育っていきます。
社会の中で、人と人との関係性の中で存在するということが人間の特徴であるという観点に立つと、親和性というのは、人間にとって最重要の、奥深い要素だと思います。それが育っていくという現象を、目の当たりに見させていただいています。
- 打ち込めば打ち込むほど、自分も相手も良くなってしまう
社会の中で、人と人との関係性の中で存在するということが人間の特徴であるという観点に立つと、親和性というのは、人間にとって最重要の、奥深い要素だと思います。それが育っていくという現象を、目の当たりに見させていただいています。
Part2 一流選手に対する達人調整の実際
選手に達人調整を施すということについてお話ししましょう。
達人調整は他の様々な手法と比べて、ケガを治す効果は低いのです。それよりもケガはしているわけではない、病気ではない、けれども心身の状態が低くなっているという選手を、非常に高い状態まで持っていく、そういうことに適した方法です。別の言い方をすれば病気・ケガをしていないという意味では健康な状態の人を、身体調整によって達人のレベルに変える。そういうことを達人調整では主たる目的とします。
私は全日本代表クラスの選手、世界選手権やオリンピックに出場するような選手を相手にこのことを実際に行い、実証しています。私が指導した中には、その事実を諸処の事情で公にすることができない選手が多数いますので、お話できる選手に限って後ほどお話しようと思います。
その選手の現在の実力だと、次に出る大会で50位くらいであろう、という選手が来たとします。どこまでの深さでやってあげるかによって、その程度は変わってきますが、ある程度やってあげると、その選手は30位になる。もっと徹底的にやってあげると20位になる。信じられないほど打ち込んでやってあげると10位になる。ということが起こり得ます。
ただし、50位の選手が、達人調整によって1位になることはありません。これは断言しておきます。これを聞いて皆さんほっとされたと思います。そういうやりかたで仮に1位になっても、人生の行為として意味がないでしょう。
また10位くらいの選手だと、達人調整によって4位とか3位とかになることもあり得る。極めて稀ですが、場合によっては1位ということもあり得る。達人調整というのは、それくらい、健康な状態の体をより高い状態、いわば達人の状態にまで近づけることができるということです。
時間的にもさほどかかりません。時には10分、20分。あるいは1時間、長くて2時間くらいの調整を行うだけで効果が出ます。10位の選手が3位になるというのは、厳密に申し上げて大変なことです。通常は3ヶ月とか1年とか、鍛練の積み重ねがあって初めて可能になることです。それが30分とか1時間の調整でそれだけの変化を遂げる。そういう意味で、30分とか1時間の単位の調整とは、いわば一瞬のことといっても良いかもしれません。
繰り返しますが100人に対して行えば、必ず100人が100人、いつでもそうなるというものではありません。現実には人と人の出会いですから、施し手も受け手もその達人調整を施すあるいは受けるという意味でどれだけ良い状態であるか、また達人調整が行われるその日その時の二人の関係がどれだけ良い状態であるかによって、良い成果を上げられるかどうかが、決まってきます。皆さんが仕事の上で、商談をする場合も同じではないでしょうか。同じような条件での商談なのに、お互いに腹を割って話すことができ、いい商談ができる時も、なかなか上手くいかない時もある、そういうことを経験したことがおありでしょう。これと同じで人の状態は時々刻々変化していますから、当事者同士がその時にうまくかみ合えば、良い結果が出る。当然のことです。
ここで具体的なスポーツ選手を例に達人調整の生の姿をお知らせしましょう。バスケットボール日本リーグのNKKに所属していた、三宅学選手です。この選手はバスケットボールの日本代表のガードをつとめていました。ご存じない方のためにお話しておきますと、一般的にガードというのは、バスケットボールの中でも最も動きの激しい、いわゆる最高の運動神経を必要とするポジションです。皆さんちょっと中学高校時代のことを思い出していただくと、学年で運動神経が抜群に良い生徒が、バスケ部にいたのを思い出しませんか。三宅選手は、バスケットボール日本代表のガードですから、全国の運動神経の良い男から、何段階も選び抜かれて選び抜かれた男。そういう存在です。彼は目本代表のガードとしても、NKKのガードとしても活躍したのですが、体を壊してしまいました。当時彼は足首が特にひどく、手術を受けても完治しないはどの障害を起こしていました。私と出会った時は28歳で、これ以上選手として活躍するのは難しいという体に近づきつつある時期でした。それを救ったのが、ゆる体操であり、極意のトレーニングであり、達人調整であったわけです。
彼の障害を治すためには、日本の伝統的医療の大家で優秀な先生がチームに付いておられました。私も存じ上げている方です。治療の方はお任せして、私のほうは、よりよい動きすなわち極意を体現するような、バランスのとれた柔らかい動きができるように、指導に打ち込んだのです。それを達成できれば、障害をおこした体をフォローするのに、より役に立つであろうという考えに立ったのです。
NKKはご存じのとおり、日本のバスケット界で最高の歴史のあるチームだったのですが、何年か前に廃部になってしまいました。その廃部になるという年の天皇杯全日本選手権当時、チーム力がトップを狙えるような状況ではなくて、順当にいってベスト8程度が予想される状況でした。私も廃部になってしまうという話を開いたこともあり、三宅選手の調整に乗り出しました。
天皇杯というのは正月に開催されますので、私も正月を返上し、三宅選手の泊まっているホテルの部屋まで行って調整に取り組みました。大会期間中毎日です、その結果は以下のようなものでした。当時最強のチームだったいすゞ自動車(※)を決勝で追いつめたものの僅差で負け、準優勝したのです。そのまえの準々決勝、準決勝も壮絶な試合で、各新聞が毎日、「三宅、奇跡のスチール」「神がかりの動き」などと書き立てました。こういう言葉は、大新聞がそう簡単には紙面に載せない言葉でしょう。それを書きたくなるほどのプレーだったのです。彼が実力のある選手であったことは間違いなく事実ですが、その大会の時点では、相当に状態が落ちていたところでしたから、達人調整の威力というものを、私も三宅選手自身も、まざまざと見せつけられたわけです。
※「日産自動車」と掲載しておりましたが、正しくは「いすゞ自動車」です。お詫びとともに訂正いたします。
【訂正後】いすゞ自動車←【訂正前】日産自動車
普段はなかなか私も時間をとるのが難しく、日本リーグなどの長期にわたるリーグ戦は、面倒を見てあげることはできません。それでも、ゆる体操や極意トレーニングの指導を受けていたからこそ、レギュラーのガードとして、活躍できたわけです。けれどもそれだけでしたら、ベスト8どまりのチーム状態でした、ベスト8どまりのはずのチームを、1人のスーパープレーで、準々決勝で勝ち準決勝で勝ち、決勝でも相手を追いつめるところまでいったわけです。
私は実は三宅選手だけではなくて、陸川選手も達人調整で面倒を見たのですが、彼もポイントポイントで出て、良い活躍をしました。三宅選手はレギュラーで出場しっ放し。陸川選手はポイントポイントで出場という状態でした。三宅選手の方が影響が大きかったでしょうが、やはり陸川選手が気力体力万全で、勝ちに行く姿勢でみんなを叱咤激励したことも、大きかったと思います。
- 調整の技術動作を、脱力と極意のメカニズムから完璧に行えるよう、 自分を厳しく見つめる
一方私の方は毎年年末は大晦日まで働いています。30日まで合宿を開催しており、31日も残務整理でへとへとになるまで仕事をしていますから、休むことが何よりも重要な状況です。そこを、正月返上で調整に取り組んだわけです。では5日間も2人の選手を面倒見てしまった私の方は、どうなったでしょう。達人調整ですから、実に気持ちの良い疲労が残るだけで、身体と意識のバランスは絶好調になるのです。全然ゆがみのない、爽快壮大な疲労とでも言いましょうか。
彼らは試合会場から何時に帰ってくるか読めない。私の方は夕方の6時位からホテルで待機状態に入り、待っているわけです。かなりハードな身体運動ですから、食事などとってしまうといい達人調整ができないので、ずっと待機しているわけです。ようやく試合会場から帰ってきたと思ったら、ミーティングがあるとか。その他の雑事もありますし「ようやく9時半からできそうです、お願いします」と連絡が入り、2人の調整に取り組み、終わるともう11時になってしまう。さあ食事はどうしよう、という状態です。そのホテルには遅くまで聞いている寿司屋があり、そこで身体に適切な寿司を厳選し、少しだけ食べてやっと回復する、そんな毎日でした。
もちろん、自分が脱力を高度に達成し、極意状態でやっていますから、かぶるというような、自分にゆがみを与えるような、そういう疲れ方はまったくしません。そんな疲れ方をしたら、体がもたなかったに違いありません。私の場合、正月というのは疲労の極で、自分を本当に大事にしなければならない時期ですから。それが選手と一緒になって、試合場に行ったり、ホテルで調整したりしていても、それが達人調整だと、それを通して自分を大切にケアしながら、高めることができるのです。
自分を大切にし、人をも大切にしたいと思う全ての人々にとって、本当に意味のある成果だと思います。皆さんに、憶えて活用していただきたく思います。(了)