Nidoさん=花柳寿恵小英、大曲「京鹿子娘道成寺」を5年ぶりに舞う
- 高岡英夫[語り手]
- 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。
一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
名人、玉三郎越えに挑戦する!(2009.09.02 掲載)
歌舞伎に関心がない方もその名声を一度も聞いたことがない、記憶にないという方はまずいないであろう。名優の名をほしいままにしている現代日本随一の女形、ご存知、坂東玉三郎である。
玉三郎の中でも十八番中の十八番といえば「京鹿子娘道成寺」という日本舞踊の全演目の中で「鏡獅子」と並ぶ別格の名曲である。最大50kgにもなる衣装を着けて1時間以上にも及ぶ踊りを絢爛豪華に舞い続ける歌舞伎舞踊で、内容的にも艶やかさの上でも他に比類を見ない、歌舞伎、日本舞踊のファンにとっても最大の人気を誇る曲目だ。
日舞を始めて、わずか2年で大曲「京鹿子娘道成寺」に挑戦したNidoさん
この「京鹿子娘道成寺」を今から5年前、花柳寿恵小英こと、Nidoさん=神津圭子が挑戦したことをご存知でない方もいらっしゃるかもしれない。じつは周囲から圧倒的に無謀との声が大多数を占めた中で、Nidoさん=神津圭子はこの大演目に挑戦したのである。なぜ圧倒的に無謀の声の中だったかといえば、じつは彼女はその時、日本舞踊を始めてわずかに2年の経験しかなかったからだ。43歳にしてまったく初めて日本舞踊というものを習い始めて、2年後の大舞台でこの「京鹿子娘道成寺」を踊ることになったのだ。
- わずか2年の経験で大曲「京鹿子娘道成寺」を踊るNidoさん(2004年)
わずか2年でこの大曲を踊れるわけがないだろう、それは絶対にありえない、というのがこの世界での常識である。5分~10分程度のずっと簡単な演目を、それも2年ではこんなもんだろうというような下手くそな踊りを連ねて、最後まで間違えずにつっかえずに踊れたね、と褒められるようなのがやっとというのが常識の世界だ。日本舞踊というのはそれほどまでに難しい、世界のあらゆる舞踊の中で最も難しい舞踊の一つと言われているものなのだ。
3歳、4歳から踊りをずっと続けてきているプロの芸妓よりも上手い
5年前のNidoさんの「京鹿子娘道成寺」は、どの程度の客観的な評価があったのだろうか。それは京都の踊りのプロ集団である芸者さんや、さらには日本舞踊を見慣れている目利きのお茶屋の女将さんたちが見に来てくださったので、その人たちの評価が非常に参考になるだろう。たくさんの方々からお声をいただいた中から、日舞の名手といわれた大ベテランの芸者さんの生の声を報告すると次のようなものになる。
「京都で中堅の実力者として活躍している芸妓(京都では芸者をこう呼ぶ)よりもずっと上手い。2年でこのような踊りが踊れるということ自体があり得ないことだけれども、3歳、4歳から踊りをずっと続けてきているプロの芸妓よりも上手いということは、まさにあり得ないことを何段も積み重ねたほどのことです。
だけど現実に、このように踊れてしまうのだから、私達はもっとしっかりと徹底的に稽古を積まなければいけないですね。それにしても、Nidoさんの内に秘めている力は凄いものですし、さらに何よりもその踊りを2年間で大変丁寧に教え込まれたその踊りのご師匠の力は全く類を見ないものですね」と。
実際に「京鹿子娘道成寺」を舞台で踊ると、国立劇場大劇場のような大きなホールでも観客でいっぱいになるものなのだ。それほど人気の演目だから、皆が馳せ参ずるのだ。その参集した会場が感動の渦に巻き込まれたほどの、確かに素晴しい踊りだった。それがわずかに2年間でそこまでできてしまったのだ。
さらに5年間精進を重ねた舞台で名優、玉三郎越えに挑戦する
さて「京鹿子娘道成寺」と言えば、なんと言ってもあの名優の名を欲しいままにしている玉三郎の十八番中の十八番だ。あえて奇跡と言わせてもらうと、たった2年の経験でまさに奇跡と評されるような「京鹿子娘道成寺」を踊ってしまったNidoさん=神津圭子は、その後さらに5年間、日舞の稽古に精進を重ねてきた。そのNidoさん=神津圭子が師事する、日本舞踊の踊り手としても指導者としても最大の天才、花柳壽惠幸その人の主催する舞踊公演「いづみ会」が今年で60年になるという。壽惠幸の舞踊家として最後の大舞台になるのではないかと言われている、『60周年記念いづみ会舞踊公演』がいよいよ9月21日(祝)と迫ってきたのだ。
さて、ここまでの流れをお知りになった読者の皆さんだったら、Nidoさん=神津圭子にいったい何を踊らせたいと思われるだろうか。もう10人中9人がおそらく「さらに5年間精進した『京鹿子娘道成寺』をもう一回踊って見せてもらいたいものだよね。さらには玉三郎とどっちが上手いかというのを見てみたいものだ」と思われるのではないだろうか。
かくいう私もこのいづみ会舞踊公演の60周年記念大会で何を踊ったらいいだろうかと、Nidoさん=神津圭子からアドバイスを求められたことがあった。私は、あの5年前のわずか経験2年であそこまで踊れた人物が、5年間、偉大な師匠のもとで稽古を積み、さらに私の開発した本質力のトレーニングを積み重ねて、はたしてどこまでその人間としての技を、術を、そして舞踊家としての芸を高め、深めることができるものなのか見届けてみたいものだと思ったのだ。答えは一言、「『京鹿子娘道成寺』を踊ったらいかがですか?」というものだった。
続けて私の口から自然と出てきた言葉が、「玉三郎を越えるつもりでおやりなさい。これは決して、今のあなたにとってオーバーな課題ではないと思うよ。相手は歌舞伎界の中心にあって、日本舞踊の踊り手として極めて恵まれた環境の中で長い年月、まさにプロ中のプロとして『京鹿子娘道成寺』を何十回、何百回と踊り込んできた名優だ。普通に聞いたら、アマチュアの舞踊家、しかも40代で始めてたった7年のキャリアの人間を比べたら、たとえ話で言えば、そんなの足下どころか足袋の裏のくっついた塵か、ひとかけらの糸クズ程度でしかないだろう。しかし、5年前のキャリア2年の時点で、あそこまでの、京都の中堅芸者で一、二を争う名妓をも凌駕した踊りを見せたのは事実なのだから、それに5年の年月が加わったらどうなるものか…、ぜひ見せて欲しい」
Nidoさんが踊る「京鹿子娘道成寺」は、日本舞踊の本道中の本道を行くものになる
これより後は、現実に踊っていない状況の中で、くだくだと言うものではないであろう。何よりも事実を見せてもらう以外にはないだろう。あえてここで付け加えておくと、玉三郎という人は無類の稽古好き、しかもいわゆる本質力の鍛錬ということにおいても、求道者と言えるほどの鍛錬を続けてきている人物だ。身体のこと、意識のこと、呼吸のこと等々をその道のプロとして自分を対象化して、徹底的に鍛えあげることを長い年月続けてきた人物だ。その前提に幼少時よりの日本舞踊の稽古あり、歌舞伎の稽古あり、そしてその上でプロとして何十回、何百回となく人前で「京鹿子娘道成寺」を踊り重ねてきたキャリアもある。じつに稽古者、修行者として評価に値する存在だということが、この挑戦の面白いところではないか。
最後に伝えたいのは、Nidoさん=神津圭子が今度踊る「京鹿子娘道成寺」は、日本舞踊の伝統を尊重した、奇をてらうことの一切ない日本舞踊の本道中の本道を行くものになるだろうということだ。それは、師匠である花柳壽惠幸がまさに近現代日本舞踊の歴史の中で、最も本道を行く、伝統重視の最高峰の大家であるからであり、私が思うに、今回の作品がその方の舞踊指導者としての集大成の一つとなるであろうからだ。