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高岡英夫の新刊座談会

【発売たちまち増刷決定!】

高岡英夫の新刊『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』座談会

【座談会参加者】

高岡英夫

(運動科学総合研究所所長/
『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』 著者)

  • 荒木孝二さん
  • 荒木孝二さん
  • (ゆる体操指導員
    /剣道五段)
  • 藤野安宏さん
  • 藤野安宏さん
  • (製薬会社営業職
    /極意武術協会)
  • 山本昌宏さん
  • 山本昌宏さん
  • (高等学校教員
    /極意武術協会)
  • 小竹志郎さん
  • 小竹志郎さん
  • (整形外科医/
    ゆる体操指導員)
  • 武上良治さん
  • 武上良治さん
  • (小児科医/
    剣道三段)

高岡英夫の新刊座談会(7)(2009.07.21 掲載)

身体意識が伝わるから、実際に直接習っていないのにできるという現象が起きてくる

藤野 先生のお話を伺っているとあらためて『武蔵本』をもっと深く読み込みたくなってきました。本サイトの『マルクロ武蔵論』も読ませていただいたのですが、私がもし『武蔵本』を読んでいなかったらおそらく「本当かよ…??」と疑問に思って納得しなかったところがありました。『マルクロ武蔵論』の中の、『武蔵本』執筆中に、高岡先生がたいへんな重みを感じられたという下りです。ところが面白いことに『武蔵本』を読んでいた真最中に、私も全身が押しつぶされるかと思うような強い重みを感じたんですよ。

 こんな本の読み方というか、感じ方は本当に初めてだったんで、「俺…大丈夫かな??」ってがらにもなく心配になってしまいましたよ。高岡先生が「お前たち楽しみにしておけよ」とおっしゃったのが、もしかしてこのことだったのかな、と。本書だけじゃ分からなかったかもしれないですけど、『マルクロ武蔵論』と合わせて読んで腑に落ちました(笑い)。

高岡 (大笑い)いや、こちらはそんなつもりはまったくなかったけどね。藤野は重みを感じちゃったんだ?

藤野 はあ。でも、もう一度読んだら、もっとヒドイ目にあうかもしれませんね(笑い)。

高岡 そのくらい強い圧力を受けたら、体がしぼれていいんじゃないの(大笑い)。

武上 私も水圧といえるほどの圧力を感じたんですが、「何だろう??」と思いましたよ、まったく初めての体験でしたからね。身体意識の変化を感じたのは二冊目ですけどね。一冊目は『意識のかたち』でした。あの時は、ジンブレイドを習ったことがなかったのですが、どんな意識なのだろうかと、体に転写するような感じで、身と心を澄まして無心に読んでいたら、剣道の稽古してる時に、予備動作が消えたようになめらかに動けるようになったんですよ。恥ずかしながら、それまで何度も落ちていた剣道の昇段審査なんですが、その体験の直後に受けたらまるで、余裕で通ってしまったんですよ。

高岡 それじゃ『意識のかたち』が段位をもらえるね(笑い)。そういえばランニングライターの小松美冬さんも似たような話をしていましたね。これは彼女がゆるトレーニングを始める前の話ですが、当時彼女は、1時間かけてよろよろと6~7kmしか走れないくらい体を壊していたのですが、『意識のかたち』を読んだ翌日に試しに走ってみたら、 いきなり20kmを1時間30分くらいで、疲れも感じずに走れてしまった、と。

藤野 体がゆるんでリミッターがはずれたんでしょうね。体や脳にはあらかじめ、自分はこの程度しかできないっていう「リミッター」みたいなものがあるはずですから。それが「何やらわからないけどできる」という心境になったときに、普段では考えられないほどの力が出ることがあるんですよね。

高岡 通常の神経生理学で説明するとその通りなんですけど、神経生理学の話と異なるのは、要するに具体的な身体意識が伝わるというところです。だから武上君が言ったように、実際に直接習ってないのにジンブレイドができてしまうという現象が起きてくる。でも、それは本を読んだ直後にしか起きない。

武上 たしかにさらなる効果を期待して二回目を読んだら、何も起きなかったんです。やっぱり上達落下の法則と同じなんでしょうね。結果を求めて狙って読んでしまうと、その心身の研ぎ澄まされ方がどうしても浅くなってしまうんだと思います。

高岡 一回目の時に生起した深いシンクロニシティがなくなってしまうんだね。1つアドバイスしてあげましょうか。書店へ行って『意識のかたち』を取り出して立ち読みすると、またその状態になるかもしれないよ(笑)。

武上 立ち読みでもよろしいのでしょうか(笑)。

高岡 もちろん立ち読みに限るね。書店員の目を盗む感じが生まれるとますますいいね(大笑い)。

武上 (笑い)。本による効果というと思い出したことがあります。私は中高生時代に仏典をよく読んでいたのですが、釈尊が言ったとされる言葉は、釈尊の死後に弟子が思い出した言葉をまとめたものであって、本質がどこかで置き換えられてしまっているんですよね。だから仏典を読んでも、なかなか悟りには近づけない。釈迦が言ってることは、「はりつめずに、たゆまずに」ということで、『武蔵本』を読んで今にして思えば本質は武蔵と同じことを言っているのだなぁと。しかしながら身体論がなく精神論だけだとやはり人は至れませんよね。

高岡 結局今までの方法論では、何をやっても至れないんだけどね。万人が至れる可能性がひらかれるには、ゆる体操しかないでしょうね。『五輪書』があっても、釈尊の直接の言葉が遺されていても、誰もゆるめないでしょうし。

藤野 言葉だけでは、逆に固まりますよ。

もし武蔵が13歳でほどゆるに気付いたら、20歳で頂点に達し、無上に高い境地を体現していた

山本 高岡先生がおっしゃられたように、武蔵が「ほどゆる」を早い時期に、たとえば13歳の頃に気付いていれば、もっと早い段階で天理を体現できていたのでしょうね。

高岡 そういう意味では惜しかったですよね。もし仮に13歳の頃にほどゆるに気が付いたらもう20歳くらいで頂点に達して、まさに「兵法心持の事」の通りそのまんま、無上なまでに高い境地を体現して大変な人物になっていたでしょう。あの時代の世の中を変えるほどの人物になってたかもしれませんよ。柳生宗矩ではなくて、宮本武蔵が江戸幕府の大目付の地位に立っていたかもしれない。そうなるとその二人ではレベルが全然違ってきますから、江戸時代全体がもっと別な社会になってたはず、ということになる。

 だから、そういう意味では真の悟りは、できるだけ早いほうがいいわけですよ。遅いほうが美談にはなるんですけどね。武蔵ほどの人でも苦しんだんだということで、後からその事実を知った凡人たちにとっては励みになりますからね。

小竹 『武蔵本』を読むことで、今までさっぱり理解できなかった『五輪書』がわかるようになり、さらにいえば武蔵が60年かかって到達した中身を、ありがたいことに「ゆる体操教室」や「剣聖の剣」の講座で学ぶことで、当然そう簡単に悟れるわけではないにしても、少なくとも実用的に私達は利用できるようになりました。60回も斬り合いをやっていたら間違いなく私たちは全員死ぬ側ですから、斬られずにその道を歩むことができるというのは、非常に社会的に価値のあることだと思いますね。この大事な情報をどうやってそれを渇望する社会の多くの人々に伝えていくか、そのことがこれから重要になってくるのではないでしょうか。

 我々は体をゆるめるトレーニングを続けさせていただいていますから、ゆるむことの価値というのはすっと腑に落ちてきます。でも、ゆるむという感覚が全くまだない人たちにこの価値を知ってもらうにはどうしたらよいだろうかというのは大きな課題ですね。荒木さんが言われたように、ゆる体操教室を開いてゆるんで気持ちいいことを体感してもらえれば、とっかかりになるんでしょうけど。

芸能タレントたちを煙に巻いて、ぶっ倒していくエネルギーこそがゆる体操の真の姿

荒木 私たちはずっと高岡先生に手を取って教えていただいているからわかりますけど、一般の方には難しいかもしれませんね。『武蔵本』を読んでみると中に書かれてある内容というのは、実践で試せることばかりなんです。これやりたい、あれもやりたい、というふうに試してみたいことばっかりなんですね。でも、これ私だからわかったけど、普通の人はわからないよな、っていうちょっと寂しさというかもどかしさというか…文字通り「残念」な思いを感じてしまいました。

高岡 今から「残念」にならないでよ(大笑い)、これからじゃないですか。誰もが夢想だにしなかったことが始まったんですよ。『武蔵本』の中にゆる体操についての記述が2箇所も出てくるんだから。武蔵の水準の武術のエッセンスを凡人が体現するには、ゆる体操しかないんですよ。後は、あったかい温泉に入って、上手い酒飲むくらいだよ(笑)。天下無双の旨い酒を飲んで、美酒に浸って、天下無双の温泉に入って「いい気持ちやなぁ〜」って、もう天と繋がる心境になるだろう。あれしかないよ(笑)。でもね、それでは脳トレとしての価値はゼロだし、もっといえばマイナスだから、やはり何の価値もないのです。本当の意味でそのことを可能にするのは、ゆる体操しかない。

 だから私としては、ここを核にして社会の扉を開ける鍵にして欲しいんです。そのあまりにも非常識な真反対に向いているように見えるゆる体操の特徴が、じつは真理なんです。ゆる体操というのは、TVにNidoさんが出演して、芸能人たちをドヒャーと言わせて、バタバタ倒してきたようなおかしい体操でしょう。過去にNidoさんの踊りの師匠が彼女に「Nidoちゃん、大丈夫? ゆる体操はあのようなTVに出て穢(けが)れないの?」と本当に心配されて尋ねてきたことがあったそうです。「高岡があれでいいと言っておりますので」というと、「高岡先生がそうおっしゃっているなら大丈夫ね」と安心されたようですが、たしかにあれがゆる体操だと捉えられると、一見心配なんですが、でもあれがゆる体操なんですよ。

 あの屈強の一流の芸能タレントたち、さんまや石橋貴明やたけしや所ジョージたちを煙に巻いて、ぶっ倒していくようなクォリティを持ったエネルギー、あれこそがゆる体操の真の姿なんですよ。つまりあの場、あのシチュエーション、あの文脈で言えば、殴り倒せるのはゆる体操しかないんです。それを可能にするのは、あのとことんゆるみ切ってセンターが立ち上っていく、あのエッセンスだけなんです。武蔵と同じですよ。もし仮にあそこに体重150キロで、ベンチプレス250キロ上げた人間が出てきて、さんまやたけしを殴り倒したら傷害罪になって逮捕されちゃうだけじゃないですか。

 武術のエッセンスを体現する体操を作ったら、現代の日本社会では、TVに出て、必然的にタレントをぶち倒していく“力”をもった体操になるんですよ。それ以外に作りようがない。ここが大事です。たとえばあの擬態語がなければ、ゆる体操にならない。「モゾモゾ。えー、モゾモゾ言わなきゃいけないの」って、人前ですぐ裸になれるタレントでもおかしくておかしくて笑い転げるような伝染力のあるパワーが必要なのです。

 ただし今後のゆる体操の展開では、実行していく領域やイメージはガラッと変わる可能性もあります。今までのゆる体操の枕詞って「やさしいゆる体操」じゃないですか。それが「武蔵希究ゆる体操」とか「武蔵の極意ゆる体操」とか、そういう冠も可能なわけですから。

藤野 今、高岡先生がさりげなくおっしゃられましたけど、武術のエッセンスを出尽くしているゆる体操には、ピッタリと当てはまりますね。強くなりたければ、ゆる体操しかないんだと。もちろんゆる体操だけをやっていればいいわけでは、全然ないですけどね、当たり前の話ですが…。しかし、非常に面白いキーワードです。武蔵もゆるめるための方法を模索していたという紛れもない事実があったわけですから。

高岡 『武蔵本』で証明しましたから。

藤野 いまゆる体操の教室に某空手団体で何回もチャンピオンになっている男が通って来ているんです。もう40歳くらいになるんですけど、ゆる体操を続けていたらもう全然体つきが柔らかく変わってきて、「お前、これからどないすんねん」って聞いたら、「また試合出てみたい」って言ってました。ゆる体操のすごさに気付き始めてきているみたいですね。

高岡 それは素晴しいね。それはご本人の人生が何倍も深く豊かになっていくことで、そのことが今度は周囲の人たちを幸せにしていくわけです。社会はこのように地道に改善していくしかない、と私は思っています。

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