ホーム > 日米政治家の本質力を解く! 第17回 吉田茂(6)

日米政治家の本質力を解く!

鳩山、オバマ、小沢、麻生…、最先端の身体意識理論で分析する現代日米政治家の真の実力とは!?

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫[語り手]
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は80冊を越える。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(いずれもメディアファクトリー)、「インコースを打て」(講談社)等がある。

第17回 吉田茂(6)(2009.11.27 掲載/2009.12.25 DS図D公開)

中丹田の形成のされ方が複雑で、まともに人を愛したり、育てたりはできにくいタイプ

高岡 まさに、それが「パラボラ」や「流舟」などの身体意識も合わせ持つ吉田の真骨頂ですよ。吉田に飲み込まれながら、安心感、信頼感をもってしまうんですね。

※「身体意識」とは、高岡が発見した身体に形成される潜在意識のことであり、視聴覚的意識に対する「体性感覚的意識」の学術的省略表現である。『究極の身体』(講談社)の第2章「重心感知と脱力のメカニズム/センター」(72ページ~)や『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)のはじめに(1ページ~)、序章(17ページ~)で詳しく解説しています。

 それから吉田のDSの特徴として、中丹田(情の源)が腰から背中に4つ、飛び石みたいに並んでいるところがあります。これを「列島状中丹田」と呼びます。なぜ、こんな身体意識が形成されるのかと考えれば、その理由の一つに、胸にできている力強い中丹田に剛性のフタをしていること(第一回で解説しています)が挙げられます。この剛性のフタは、巨大な「パラボラ」を作るために必要なものですが、このフタがあるために、中丹田に入ってくる熱性のエネルギーがどこかで使われなければいけなくなる。その結果、4つの島ができたと考えられます。

――これも、珍しいですね。

高岡 珍しいです。中丹田が胸のど真ん中にあって、あのようなフタがなければ、もっとストレートに人を愛したり、国民に訴えたりするはずなんですよ。

――確かに、ストレートな訴え方ではないですね。昔の映像を見ても、胸の真ん中にきちんとした中丹田のある鳩山一郎が、あけすけな感じで国民にストレートに訴えかけるような話し方をするのに対して、吉田茂は、心の全てはさらしていないような、何か隠しているかのような話し方でした。講和条約の交渉では、実際に日米安保条約の締結を国民ばかりか、側近にも隠したままでしたしたしね。国民の一人、一人とつながる働きをする「リバース」も、ほとんど感じられませんでした。

高岡 リバースも発達していないですよ。「煙に巻く」というと、煙だからスケールの小さな話になるんですけど、それをもじって「炎に巻く」というかね。吉田茂を見ていると、「炎で相手を翻弄していく」みたいな感じがしなかったですか。いろんなことが一定のポジションから発揮されるわけではなく、どっから来ているのかわからないという感じで。

――訳のわからないうちに取りこまれている感じはあります。講和条約の交渉過程を見ていても、いろんなことに「うわっ、すげぇー!」という感じでした。

高岡 それは、「パラボラ」とこの中丹田の合わせ技でやられちゃうということでしょうね。この人は、素直な形で人を愛したり、育てたりしたことは余りなかったんじゃないかと思います。

――たとえば、「吉田学校」という言い方をされますが、それも、池田勇人や佐藤栄作らを育てたわけじゃなくて、優秀な官僚を登用しただけのことでしょう。そういう意味で人材を見る目はあったと言われていますが。

高岡 もっとも親しい人たち、身近な人たちとも、なかなかまともには付き合えなかったんではないでしょうか。「情」というものがどこから来るのかわらないんですから。

――62歳で奥さんを亡くすと、間もなく愛人の芸者を極秘のうちに大磯の自宅に入れて一緒に生活を始めています。しかし、すぐにマスコミに勘付かれて写真を撮られるのですが、それをずっと根に持っていて、11年後の首相在任中、演説会でしつこいカメラマンにコップの水をぶっかけて「人間の尊厳を知らないのか」と怒鳴りました。その後、現在の天皇が皇太子の時代に、美智子妃への取材攻勢に参っていた時、「そういう記者には水をぶっかけておやりなさい」とアドバイスし、「吉田さんのようにはいかない」と苦笑されたことがあったようです。

高岡 そういうことになるでしょうね。これだけのDSをしているのですから、政治家としても、人間としてもモンスター級の業績やエピソードを残していますよね。逆にいえば、戦後の混乱期、これだけの規模のDSを持つ人間でなければ、とてもあの講和条約交渉を乗り切れなかったし、結局日本のカジ取りもできなかったということですよ。

<了>

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