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クラゴン

【文中で紹介された本】

高岡英夫の対談スペシャル「モータースポーツ究極の世界」

  • 高岡英夫
  • 高岡英夫
  • 運動科学者。「ゆる」開発者。現在、運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長・推進委員。東京大学、同大学院教育学研究科卒。東大大学院時代に西洋科学と東洋哲学を統合した「運動科学」を創始し、オリンピック選手、芸術家などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体・脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を開発。一流スポーツ選手から主婦・高齢者や運動嫌いの人まで、多くの人々に支持されている。大学・病院・企業などの研究機関と共同研究を進める一方、地方公共団体の健康増進計画での運動療法責任者も務める。ビデオ、DVD多数、著書は『「ゆる」スポーツ・トレーニング革命』(大和書房)、『センター・体軸・正中線』(ベースボール・マガジン社)など、80冊を越える。
  • クラゴン
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  • レーシングドライバーとして世界最高峰のサーキット、ドイツ・ニュルブルクリンクでのレースで活躍するなど、専門筋をうならせる傍ら、ドラテク鍛練場クラゴン部屋を主宰し、一般ドライバーの運転技術向上にも取り組む。「クラゴン」は日本自動車連盟に正式に登録したドライバー名。2001年、ゆるトレーニングを始めると同時に頭角を現し、同年ミラージュ東北シリーズチャンピオン、02年シビック東北シリーズチャンピオンを経て、03年には全国区のスーパー耐久選手権初挑戦で予選ポールポジションを獲得、国内各レースで活躍した後、05年のニュルブルクリンク24時間レースで自動車の本場、ドイツでも速さを認められ、06年からは現地チームで毎年参戦している。通訳や代理人を頼らず単身ドイツに赴く、日本では稀有なスタイルを持つレーサー。

Part1 高岡英夫×クラゴン「モータースポーツ究極の世界」

なぜ世界最高峰の舞台ニュルブルクリンクで活躍できたのか?

高岡 あの世界最高峰の舞台であるニュルブルクリンクで、日本人として圧倒的な成績を収めているクラゴンだけれども、まず何が一番役立っていると思う? 別の言い方をすれば、他の日本人のドライバーはこうだから活躍が出来ないという部分はあるのかな?

クラゴン これはあくまでも推測ですが、たぶん恐怖感だと思います。ニュルブルクリンクは毎年死亡事故が起こるほどの非常に危険なコースで、そういう危険なコーナーをいかに高い速度で走れるか、というところに一番大きな差が出ているのではないかと思います。

高岡 なるほどね。つまり、レースの前提としてのスピードの時点で差があるわけだ。

クラゴン はい。ハンドルをどう切るか、アクセルをどう踏むかという、細かなテクニックの差ではないと思います。

高岡 それはクラゴン君が死んでもかまわないと思って走っているからじゃないよね?(笑い)

クラゴン もちろんそんなことはありません。

高岡 いわゆる死をも恐れぬ特攻精神とか、生きるとか死ぬとかあまり考えていない、ただ単に能天気っていうことでもないよね。(笑い)

クラゴン そうではありません。レーサーとしては妙なことを言うようですが、自分としては十分に速度を落として、安全に走っているつもりなんです。レースはまずゴールしないことには良い結果を出すことはできませんから、確実にゴールできるだけの安全圏のペースで走っています。にもかかわらず他のドライバーよりも速い、という自分としても不思議な状況なんです。

高岡 客観的なスピードと自分の考え方にいい意味でズレがあるわけだ。それは別のいい方をすると、同じスピードを他のドライバーと比べて遅く感じているということだよね。遅く感じているからこそ、安全、確実性、操作性、制御をし得る時空間というものが生まれるわけだよ。クラゴンが言っているのはそういうことだよね。

クラゴン なるほど、おっしゃる通りです。

ズルズルにゆるんだ肋骨が、全く次元の違う深さの操作性を可能にする

高岡 これは大変興味深い話で、そうなっている背景が何なのかという話だよね。

クラゴン 自分の感覚としては、ゆるんでいるということを最も感じていますが、感覚的なもので、説明するのはとても難しいです。

高岡 原因になることはいくつも考えられるんだけど、今回はこの2つでいいと思うんだ。ひとつは比較的現実的な話で、スピードそのものに対する人間の感受性というものがあって、そのスピード上に操作性というものがあるように話をしたわけじゃないですか。でもそれは実は嘘で、操作性があってその上にスピードの感受性というものがあるんですよ。そうやって考えると、異常なほど高い操作性が自分にあって、それがあるからこそ高いスピードでも速いと感じないということがいえるんですよ。「この程度のスピードだったら自分はすでに対処している」という現実があるから、スピードを速く感じないんだよ。

クラゴン おー、なるほど!

高岡 まずひとつにはこういうメカニズムがあるんですよ。いいメカニズムはいくつでも何種類でも重なり合うものだから、これからその話をしましょう。自分がこれまで徹底してゆるむトレーニングをやってきて、クルマの操作性を発揮する自分の身体のメカニズムが、ゆるむトレーニングによって何段階にも奥深く育ってきているのがわかるでしょう。これは非常に説明がつくでしょう。普通だったら、レース中に固まっちゃうどころか最初から固まっている肋骨の上で、大筋群が肋骨を固定土台として動くだけでしょ。そこから生まれるステアリングの操作性っていうのはたかが知れているじゃないですか。ところが肋骨がズルズルにゆるんで揺動土台として動き得る状態では、いくつも揺動土台が重なり合った状態で肋骨がズルズルずれあうんですね。そこから生まれてくる操作性っていうのは、全く次元の違う深さがあるでしょ。この操作性があって「今のこのスピードは自分で何とかし得るものだ」という前提ができているということだよね。

クラゴンの走りは徹底したゆるトレーニングによって「細胞反応制御系」の水準に入ってきた

 二番目は、こちらのほうが『究極の身体』読者のみなさんにとって、認識意欲がグッとせり上がる形で盛り上がるかもしれません。つまり、ゆるトレーニングでゆるんだ結果、細胞たちのひとつひとつが非常に自由度を発揮している状態なんですね。つまりゆるめるということは何かというと、人間の身体を構成しているパーツの自由度を高めるということで、それは骨や筋肉のレベルで考えると非常によくわかるじゃないですか。背骨の椎骨がいっぱいあるけど、固まっていたらその自由度は低く、ゆるんだら自由度は高くなります。肋骨も筋肉も同じことです。

 でも実は大事なのは、ゆるというのはもっと深くに入っていくもので、まだその途中経過としての話ですが、細胞まで入っていくということです。僕らはいちいち顕在意識で細胞のことを感じているということはありません。しかし潜在意識というのは顕在意識の何百倍も何千倍も奥が深いものですから、詳細なところまで根っこを広げているわけです。顕在意識において、ゆるで骨のひとつひとつから背骨の椎間板のずれる感じだとか、そこに付いている小筋群やその動きだとか、そういうものを感じながらゆるめていく努力を出来る人は、潜在意識の根っこは細胞まで届いているんです。

 進化の歴史は実に上手なメカニズムを作ってくれたものです。そうすると細胞たちの自由度が高まって、細胞の機能も高くなります。これがどういうことかというと、細胞が持っている能力をより最大化して発揮できる状態に近付くということです。そしてそもそも細胞たちは、自分が受けている物理学的な情報に最も敏感に反応する、そういう能力を持っています。物理学的な情報というと、クルマに乗っているクラゴン君に起こっているGや振動などが、最も物理学的な情報でしょう。だから細胞たちがそれにものすごく敏感に反応するんですね。細胞のひとつが反応したとしてもたいした情報力ではありませんが、反応が集団的に行われることで、それらがクラゴン君の脳神経系に情報提供をしているわけです。

 一方、筋肉の段階では、筋肉の細胞たちは全体としての脳神経系、つまり意図すること、何をしようとしているか、ということと相互作用を持ちながら補完する形で、筋肉の細胞たちは「ここで筋収縮してしまえ」とか「脱力してしまえ」とか、勝手にやりだすようになります。勝手にとはいえ全体としての目的合理性に従ってですが、勝手にやりだすようになります。一度、神経を通って脳まで上がって、脳から降りて来てこうしなさいという指令を出す0.2秒くらいかかるんです。0.2秒もかけていたらニュルブルクリンクではどうなるかな。

クラゴン 全く間に合わないですね。時速200kmで走行中なら0.2秒で11メートル以上も進みますからうねりや凹凸を食って振られたり飛ばされたりしてしまいますし、場所によってはコース幅よりも長い距離を進んでしまうことになります。

高岡 そう、ニュルブルクリンクは0.2秒かけると間に合わない世界なんだよ。間に合うというコース状況なら、一生懸命考えて上手くなったドライバーでも通用するでしょう。ところが、もう条件的にそれじゃ通用しないんだよね。一度、脳まで上がって降りてくるといった、人間の脳に対する求心性遠心性神経を通ったサイクルを使う反応速度では間に合わない。

 そうなるとこれは科学的にも、ほかの反応系を使っている以外にあり得ないんだよね。細胞たちがダイレクトに反応して、筋細胞が勝手に物理学的な状況を感知して勝手に判断する。判断するといっても目的に対して合理的に。自分の脳が判断している、全体としての戦略、戦術、意図、方向性というものに従って行動してくれるんですが、これを「細胞反応制御系」と呼びます。

 クラゴン君はこの細胞反応制御系が働き始めていると思うよ。レース報告書で戦いっぷりを詳細に読んでいると、この水準のパフォーマンスになってきたら働いているな、としか思えない。入り始めているんだよ、その系にね。

  • 世界一過酷なコース「ニュルブルクリンク」
  • ニュルブルクリンク―死と隣り合わせの、
    ドライバーにとって世界一過酷なコース

これら二つの能力は、建物をキチッと建てていくのと同じようにトレーニングできる

クラゴン そんなことになっているんですか。変は話なんですけど、このところ自分で思っているより自分が速いということに驚いています。

高岡 クラゴン君が今言った主観は、細胞反応制御系が起こり始めている人の典型的な感想なんですよ。

クラゴン レース中にチームの監督から無線で「今すごいタイムが出ているぞ」と言われるんですが、別に攻めているわけではなくて「あっそう、速いんだ」と思うことがよくあります。

高岡 ハッハッハッ。

クラゴン 自分としては上手く走っているというよりも、走れば走るほど、まだまだ行けるというのがわかって来る状態で、あのコーナーをもっとこう走ろう、ここのアクセルはもっとこう踏もうと考えているのに、チームのみんなが喜んでいるというのが不思議なくらいでした。

高岡 それも細胞反応制御系が起き始めている人の典型的感想だね。客観的に見えるけど、本来は喜んでいるチームの人の方が客観的なはずだよね。第三者として見ているわけだから。一方、クラゴン君が自分の走りを批判的に見ているということは、その人たちの客観性を越えた客観性、つまり超客観性なんだよ。そういう意識状態が生まれるんだよね、これは細胞反応制御系に入り始めた人間の特徴で、レース直後に会った時に私が言ったと思うんだけど、次のレースに向かって何が大事かというと、この前のレースより必ずもっと深くゆるんでおくこと。これだ大事だね。だからやることはゆるむことに尽きるわけだから、悩みはないと思うね、と。

クラゴン トレーニングに悩みのない選手なんて、他にいないですよね。

高岡 悩みがあるのが当然だよね。今回ふたつのメカニズムについて分析したけど、どちらもそうなるための、方法がなければできないわけですよ。クラゴン君はその方法を全くのゼロから建物を建てるように積み上げてきたんだよね。ここが面白いんだけど、背骨やら肋骨やらが説明がつかないほどゆるゆるに動き回って、凄まじい操作性を発揮しているという話も凄いし、もっと凄いのは、細胞が自由度を発揮して、勝手に反応制御に参加するということになると、そんなものどうしようもないじゃないですか、という話になりそうですよね。ところがそうなるためのトレーニングは、建物をキチッと建てていくのと同じようにできるんだよね。だから悩みがないんだよ。

 一方、そのふたつの能力を持たない限り、このニュルブルクリンクというコースは、構造上攻めることが不可能なわけじゃないですか。そうなると悩みは深いだろうし、極論すると悩むことすらできないだろうね。真に悩むっていうのは、多少は噛み合い組み合って、光が見えているときに生まれるもので、そうでなければいわゆるお手上げの状態でしょう。アクセルは足で踏むから足上げ。お尻や背中もセンサーとして大切だと考えると、あと尻上げ背上げ。

クラゴン ハッハッハッ。もう全部上げないとダメですね。

高岡 でも本当にそんな状況だと思うんだよね。私は日本人のドライバーが憎いどころか、大活躍してもらいたいと一番思っている人間ですから、そのために申し上げておくと、もったいないんですよね。ドライバーは誰だってクルマが好きで自分が好きでみんな打ち込んでいるんだよね?

クラゴン どちらも人一倍好きな性格の人ばっかりです。

高岡 だったらなおさらもったいないじゃないですか。せっかくそれぞれのポジションでいいクルマを与えられて、その性能を活かしきれないなんて、もったいないじゃないですか。せっかくクルマ大好きなのに。一方、自分も好きなのにその自分の持てるもの、メカニズムとして潜在的には存在するものを有効利用できないっていうのは、一番もったいないよね。

クラゴン おっしゃる通りです。

高岡 だから私がクラゴン君に思うものは何かと言ったらやっぱり、クルマ、好きです。自分、好きです。その単純明快なことをひたする深めるということでいいんじゃないかな。

クラゴン そうか、それでいいんですね。(笑い)

高岡 ひたすら自分に取り組んで、いい自分を開発して、大好きなクルマに乗って、今やドイツ人とのチームワークも大好きになっているようだから、そういった人たちと大いに深くかかわってやっていけばいいんだよ。(笑い)

  • 本場ドイツで驚異の速さを認められるクラゴン
  • 本場ドイツでその驚異の速さを認められ、
    06年からは現地チームで毎年参戦しているクラゴン。
    日本人として誇ることのできる存在だ。

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Part2 ニュルとは?

文:モータリングライター 藤田竜太

ニュルブルクリンクとは?

クラゴン選手が主戦場にしているドイツのサーキット=ニュルブルクリンクとはいかなるところか。

スポーツカーに詳しい人々に、‘ニュル’の通称で知られているニュルブルクリンク。「ニュルブルク」とはサーキットが取り囲んでいる古城=ニュル城(「ブルク」はドイツ語で城)のことで、「リンク」(ドイツ語的には「リング」)はサーキットを意味している。

場所は、フランクフルトから約200km、ケルンの南方にあるアイフィル高原の山間部にあり、F1GPなどを開催する近代的なGPコース(4.542km)とノルドシュライフェ(=北コース 別名オールドコース)の二つのコースから成り立っている。クラゴン選手がチャレンジしている、ニュルブルクリンク24時間耐久レースでは、このGPコースとノルドシュライフェをドッキングしておこなわれるが、通常‘ニュル’という場合は、F1の舞台となるGPコースのほうではなく、ノルドシュライフェの方を指す。

なぜなら、ニュルのノルドシュライフェこそ、スポーツカーの聖地と呼ばれる他に類を見ない世界一過酷なコースだからだ。

  • ニュルブルクリンクのコースレイアウト
  • ニュルブルクリンクのコースレイアウト
    ノルドシュライフェ(20.832km)とGPコース(4.542km)を合わせた
    全長25.374kmがニュルブルクリンク24時間耐久レースの舞台となる。
  • クリックすると拡大画像がご覧になれます。

その特徴はまず非常にコースが長く、巨大だということ。ノルドシュライフェの全長は、20.832kmもあり、なんとこのコースの中に小さな町が3つもある。

さらに山間部に自然の地形に沿ってつくられているため、コースの高低差が約300m(294.3m)もあり、1周にわたってアップ・ダウンが連続する。

また、コースの全長が長いために、コーナーの数も桁違いで、左コーナーが約90、右コーナーが約80、合計170ものコーナーがあり、コースレイアウトを完全に覚えるというのは至難のワザで、大雑把に覚えるだけでもかなりの時間が必要になる。しかも、その170個のコーナーのうち、ひとつとしてイージーなコーナーがないのだ。

もちろんニュルにも低速コーナー(※1)はいくつかあるが、基本的に中高速コーナー(※1)が主体で、なかには時速250km級の下りの超高速コーナー(※1)があったり、空しか見えない上りのコーナーもあり、比較的平坦な部分でも、ほとんどが森の中を走るため先が見通せないブラインドコーナーになっている…。

そのためこのニュルでの開発テストをもっとも重視しているポルシェのテストドライバー達は、「ニュルは2週間走り続けないとまともに走ることはできない」と異口同音にいう。しかし、かの地でスカイラインGT-Rの開発を担当した日産のテストドライバー、加藤博義氏は「2週間でまともに走れたら立派。ボクは500ラップ(=10416km)走って、ようやく現地の同業者から『まあまあだな』と認められるようになった」と語っている。

ニュルの厳しさはこれだけではない。他のサーキットの路面は、タイヤがグリップしやすい特殊アスファルトになっているが、ニュルの路面はほとんど一般道と同じ舗装で滑りやすい。その上、コースからガードレールまでのいわゆるエスケープゾーンが狭く、コースアウト即クラッシュの危険が高い。

そして一番厄介なのは、路面に独特のアンジュレーション=「うねり」が付いているということ。

これには大きな理由がある。ノルドシュライフェの開設は1927年。日本では自動車の生産すら始まっていない時代だが、先の第一次世界大戦で敗れたドイツが、このアイフィル地方の失業者対策として建設に着手。失業者のみを採用し重機を使わず人手で作ったサーキットなので、路面には独特のうねりがあり、路面状況は猫の眼のように変化する。約2kmのロングストレート(日本では富士スピードウェイの約1.5kmが最長)も例外なく波打っていて、2箇所のジャンピングスポット(※2)などでは、狙ったラインをはずすとどこに飛んでいくかわからない危険もある。大きくカント(斜面)のついたスリ鉢状のコーナーも2箇所あり、とにかくニュルには一般的なサーキットでは当たり前の、フラットな路面というはどこにも存在しない。

クルマのサスペンション(=タイヤ・ホイールの懸架装置)設計の目標は、(外側の)タイヤをつねに路面に対して垂直近くに維持することにあるわけだが、このニュルでは、気を抜くと四つのタイヤがすぐにそれぞれ別々の方向を向こうとする。しかもそのタイヤには、荷重が完全に抜けるとき(ジャンピングスポット)もあれば、最大1本に1トンもの荷重がかかるときもある。

結果的に、ニュルでの全開走行は1周で一般道の2000~3000kmに相当するストレスがクルマにかかり、ドライバーにも同様に非常に高いスキルとプレッシャーが要求される。

このようにニュルとは、世界屈指の難コースであるが、ただの危険なコースではない(危ないだけのコースならニュル以上のコースもいくつかある)。つまりニュルはハイリスク(※3)ではあるが、デンジャラス(※4)ではないのである。クルマの持つ本当の実力をむき出しにし、ドライバーのポテンシャルを丸裸にするコースだが、クルマもドライバーも‘ホンモノ’であれば、ここを走る以上のドライビングプレジャー=「走る感動・喜び」は他ではけっして味わえないものがある。だからこそここは聖地であり、憧れの地となっているのだ。

  • ジャンピングスポット
  • 狙ったラインをはずせば即危険なジャンピングスポットも
    ‘ホンモノ’のドライバーにとってみれば、
    「走る感動・喜び」に欠かせない要素だ。

ニュルブルクリンクを走るには何が必要か?

これまで語ってきたように、ニュルブルクリンクが難攻不落なコースであるがゆえに、ここで‘通用する’といわれるのは、ドライバーにとってもクルマにとっても最高の栄誉となっている。ではどうすれば、ニュルで通用するといわれるのか。

クルマの場合、まず優れたパッケージ(※5)としっかりしたボディ剛性(※6)、そして路面のうねりに追従する接地性のいいサスペンション。これらが揃えば、「ニュルでも通用するクルマ」になりうるだろうが、ポルシェが「ニュルで通用すれば、世界のどのコース、どの道路を走っても大丈夫」と豪語するだけあって、この条件をクリアするのは容易ではない。とくにボディ剛性は、運動性能の大敵=重量とのトレードオフの関係(=相反関係)にあるので、安易に補強するわけにはいかない。またタイヤの接地性も路面がフラットならば、サスペンションを固めて動きづらくしてしまえば、サスペンションの伸び縮みによるアライメント(※7)変化が少なくなって接地性変化も小さくできるのだが、ニュルのように路面にうねりがあるコースで、ガチガチのサスペンションにしてしまうと、そこらじゅうで飛び跳ねてしまって、直線すらまっすぐ走らないクルマになってしまう……。つまりボディには強靭さ、サスペンションにはしなやかさが要求されるのだが、どれだけ強靭なボディにし、どれだけしなやかなサスペンションにすればいいのか、その肝心なところは高価な測定装置を何十個クルマに搭載しても数字に全部表れるわけではない。最終的には感性豊かなドライバーがテストをして仕上げる以外に気持ちがいいクルマは作れないのだ。

ではそんな感性豊かな「ニュルで通用するドライバー」になるためには何が必要なのか。これはもう「タイヤと路面の関係」をリアルタイムで精密に把握できる身体のセンサー「Gセンサー」(※8)を持っている、ということに尽きるだろう。

そしてその身体のGセンサーを最大限機能させるには、これはもう身体を徹底的にゆるませるしかない。

ところがこのニュルというコースは、再三説明してきたとおり、超ハイスピードで、コーナーの先が見えず、滑りやすく、エスケープゾーンが狭く、etc.と、それなりのキャリアとスキルを持ったドライバーであったとしても、身体を固めてしまう要素がてんこ盛りになっている。だがその厳しい状況下で身体をゆるめられないと、Gセンサーは見事にフリーズし、ガチガチのサスペンション同様、ドライバーもニュルの路面からはじき返されて、「緑の地獄」(周囲の森が深いため。ニュルを本拠地にする手練の開発ドライバー達の呼称)と呼ばれるニュルの手痛い洗礼を受けることになるだろう。

少なくとも、このニュルでは「このコーナーのブレーキングは、あの看板を目印に」とか、「ライン取りは云々かんぬん」「4WDだったら…」といった頭でっかちなドライビングは通用しない。ドライビングの基本に忠実に、できるだけクルマを不安定にさせないように、そしてそのクルマが苦手としている状況を可能な限り短時間で過ごすようにするのがニュルを走るドライバーの使命といえる。

逆に最悪なのは、ヘンな先入観と思い込みで「いける!」と判断してしまうこと。最近は一流ドライバーによるニュルの車載映像を収録したDVDも数多く出回っているし、ニュルを舞台にしたかなり臨場感のあるテレビゲームも開発されているが、これらをやりこんでニュルをわかった気になるのは非常に危険だ(一定以上のスキルを持ったドライバーが、コースを予習するという意味では役に立つ)。

DVDやゲームはよくできているとはいっても、所詮は2次元。実際のニュルの強烈なアップダウンやあの独特の路面のうねりに関しては、ホンモノの何分の一もゲームなどでは伝わらない……。

ちなみにニュルは、平日の夕方や貸切の入っていない週末には、「ツーリストタイム」が設けられていて、1周19ユーロで誰でも走ることができる。週末には自慢の愛車、バイク、キャンピングカー、観光バス(!)、レンタカー、etc.が渾然一体となって走っている(ヘルメット不要、乗車人数も定員まで)。

世界一過酷なコースでありながら、このゆるさ(路面への落書きもニュルの名物)。日本ではまったく考えられない。それでも意外なほど事故は少ないが、一方でニュル24時間耐久レースでは毎年数名の死者が出ている(それでも決してレースは中止にはならない)。この懐広さとゆるさ加減だけみても、ニュルこそ究極のサーキットと呼ぶにふさわしい。

クルマ好きなら、「一度は走ってみたい」と夢見る‘聖地’ニュルブルクリンク。もし訪れる機会に恵まれたら、事前に十二分にゆるトレーニングを行って、ゲームなどをやり込まずに、虚心坦懐にコースに臨んでみて欲しい。

おまけコラム 日本車とニュル

ニュルが一般のクルマ好きにもその名を知られるようになったのは、1989年にデビューした日産スカイラインGT-Rが、国産車ではじめて本格的なニュルでの開発テストを行い、当時の量産車最速タイムを塗り替えたのがきっかけ(8分20秒 もっともその初期型のR32GT-Rのブレーキはコースの半分以下、8km地点で根を上げてしまった)。その後歴代GT-RやホンダのNSX、スバルインプレッサ、最近ではレクサスなどもここで開発の最終テストを行っている。

こうした世界の自動車メーカー・タイヤメーカーの開発テストは、ウィークデイの日中「インダストリーディ」という時間帯でおこなわれるが、これはどこか1社が専有する時間ではなく、ニュルの企業共同体に登録したメーカーによる共同の専有時間なので、各社混走以外では走れない。

それはたとえ量産前の試作車であっても同じこと。量産前の試作車というのは、そのデザインから寸法、パフォーマンスまで絶対機密というのが各国共通の自動車界の常識。それでもニュルでテストをしたければ、隠し事は禁物。ボディに発売前のクルマのデザインを隠すためのマスクをしたりして顔は隠したりしているが、肝心要のパフォーマンスはライバル他車にも全部筒抜けとなる。

それどころかニュルのコース脇はいつでも誰でも出入り自由(無料)なので、部外者だって旅行者だって開発中の極秘車両の走りが見放題。

かくしてニュルは世界で唯一の公開テストコースにもなっている。それだけにこのインダストリーディの走りは一見の価値あり。次世代スポーツカーの実力も、各社のテストドライバーの力量も見る人が見れば一目瞭然。

いまのところ、ご存知ポルシェとBMWの2社がクルマのポテンシャル、テストの本気度、ドライバーのスキルの総合点で、インダストリーディの両横綱だ。この2社は明らかに別格で、そのあとにVWやベンツなどが続いている。国産車は地理的な関係もあって、どうしてもお客さん的なポジションだが、強いていえば日産とホンダは健闘しているといえるだろう。

ちなみに、日本のメーカーでもっともニュルになじみが深いのはタイヤメーカーのブリヂストン。ポルシェの承認タイヤの開発をきっかけに徹底的な実走テストを繰り返したことで有名だ。


※1…低速コーナー・中速コーナー・高速コーナー:コーナリング時の速度による、コーナーの区分 たとえば、コーナーの半径が20mのコーナーなら低速コーナー、半径130mのコーナーなら高速コーナー、その中間なら中速コーナーとなる。ただし、単純にコーナーの半径で決まるものではなく、路面の摩擦力やそのコーナーの手前が直線なのか、コーナーなのか、etc.の諸条件によっても変わってくる。

※2…ジャンピングスポット:いわゆるジャンプ台のような形状をしている路面のこと 通常のサーキットにはありえない。

※3…ハイリスク:コントロールできたり、分散させることのできる危険

※4…デンジャラス:問題が多岐にわたり、手のつけようがないような危険

※5…パッケージ:ボディ形状、ボディの寸法、エンジンの搭載位置、駆動方式、サスペンション形状、座席の位置、重心高、etc.のクルマの基本となるカタチ。

※6…ボディ剛性:走行中に路面からボディに入力される力、およびボディに加わる遠心力や空力などのボディを変形させようとする力に対する抵抗の度合い(強さ)のこと。

※7…アライメント:タイヤを車体に取り付けたときのタイヤの姿勢。

※8…Gセンサー:加速、減速、コーナリングによって生じる加速度=加速G、減速G、コーナリングG(横G)を感知する能力。

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Part3 クラゴン・レースリポート

2008年のニュルブルクリンク24時間レース(以下ニュル24h)参戦のクルマに関しては、2つの選択肢があった。ひとつは昨年と同じフレパーモータースポーツの"スーパーシビック"。もうひとつはニュルブルクリンクで年間10レース開催される、BFグッドリッチ耐久選手権のチャンピオンチーム、マットホールレーシングのシビックタイプRだ。ドイツのチャンピオンチームからの誘いは、日本人ドライバーのみならずドイツ人ドライバーもうらやむ大きなチャンスだった。

検討の結果、昨年参戦したフレパーモータースポーツのシビックヨーロッパ仕様改スーパーシビックで、エンジン排気量2000~2500ccのSP4クラスへの参戦が決まった。SP4クラスのライバル車はBMW323i、ベンツ190EVO、BMWM3、ヒュンダイクーペV6、そしてS2000など、ニュル24hらしくバラエティに富む。

チームメイトとなるペアドライバーには、BFグッドリッチ選手権にシリーズ参戦し評価の高い、バーナー・ウエトレクトとフローリアン・フリック、加えて速さはないが安定したドライビングを見せる、イギリス人のロッド・フージスで決定。速いチームメイトは手強いライバルであると同時に、頼りになる存在だった。

マシンに問題があり、セッティング確認の時間となった「予選」

今回のレースではマシンの状態に少し問題があり、予選というよりもセッティング確認の時間となった。まず経験のあるバーナーが乗り11分38秒台をマーク。次にクラゴンが乗り、計測2周目に早くもバーナーを上回る11分34秒台をマークした。1年ぶりのニュルブルクリンク、1年ぶりのマシンで地元でも評価の高いドライバーを破り、チームマネージャーで無線担当のマニュエルも「Good!」と喜ぶ。これもゆるトレーニングと、クラゴン部屋の稽古の成果だ。

しかし、マシンは路面の段差で跳ねる症状が強く、非常に不安定だった。超高速コーナーの連続するニュルブルクリンクではこの症状はドライバーの大きな負担になり、ミスの原因にもなる。クラゴンの指摘にバーナーも同意見で(バーナーは英語を話せないが、クルマのことになると意思が通じるのが面白い)、チームは早速原因究明をはじめた。

原因として挙げられたのはタイヤ。クラゴンの意見からチームがタイヤをヨコハマからミシュランに変更した。これによってバランスがかなり改善されていたため、ここで予選を終了した。タイムアップこそ果たしたが、順位はクラス8台中7位。トップのヒュンダイクーペV6とは1分近い差があった。

クラゴンを中心としたコンビネーションで着実に順位を上げていった「決勝」

そして決勝。24時間レースは午後3時にスタートし、同じマシンに4人のドライバーが交代で乗り込む。スタートからフローリアン→ロッド→バーナー→クラゴンという順番で、ガス欠になる10周(2時間)ごとに交代というローテーションとなった。スタートから6時間後、午後9時から2時間というのは、ドイツではちょうど日没に当たり、24時間レースの中でも難しい時間といえる。だからこそクラゴンの出番なのだ。

フローリアンは期待通りの11分台前半の安定したラップで、ロッドは少し遅い12分台で確実に、バーナーはその中間で、それぞれのペースでレースを進めていく。バーナーのスティント(※9)でタイヤが破損したが、無事にピットに戻りタイヤを交換。最小限のロスに止めた。序盤で予選トップのヒュンダイがクラッシュにより後退するなど、レースはニュルらしい展開に。乗じてクラス4位まで順位を上げたところで、バーナーからクラゴンに交代した。

そして交代直後から雨が降り出した。マシンはドライ路面用の溝のないスリックタイヤ。さらにこの週末は一度も雨が降っていないため、レースをしながらウエット路面に慣れていかなければならない。そして夕方~夜へと視界はどんどん悪化していく。コースの各所でコースアウトしたマシンを処理するための回収車が入り、非常に危険な状態だ。ここでクラゴンが本領を発揮した。

ペースダウンするどころか、直前に乗っていたバーナーを上回る11分20秒台を連発! ここで2位を走行していたメルセデス190EVOがクラッシュし3位へ浮上。さらに12分台後半~13分台で2位を走行していたBMWM3をコース上でとらえて2位へ浮上! クラストップを走行していたS2000でさえ、11分台後半から12分台で周回していたコンディションである。チームからも「We are 2nd place! We are 2nd place!」と興奮した無線が入った。

その後、フローリアン~ロッドとつなぎ、バーナーが視力の問題から夜間の走行を固辞したため、次のクラゴンの出番は夜明けの午前3時~5時。24時間レースでは、トラブルやアクシデントが発生しやすい魔の時間帯でもある。強い雨が路面を濡らし、ピットインと同時に濡れた路面用のレインタイヤに交換してクラゴンがコースに入った。

  • スーパーシビック
  • 夜明けの午前3時~5時。
    24時間レースでは、トラブルやアクシデントが発生しやすい魔の時間帯である。

すると今度は雨が止み、次第に路面が乾いてきた。全長25kmのコース状況はドライバーにしかわからないため、クラゴンの判断でタイヤ交換をする作戦だったが、無線が通じない! しかし慌てず騒がず、路面がドライに変わった時点でクラゴンがウインカーで合図をし、翌周にピットイン。チームもスリックタイヤを準備してクラゴンの期待に応えた。無線がなくても、ピット作業に際しての混乱は一切なし。チームはクラゴンをそのまま走らせるつもりでドリンクまで準備していた。これが2年目のコンビネーションである。

夜明けをむかえたニュルブルクリンクでは、クラッシュしたマシンの破片や、トラブルで撒かれたオイルが後続車をクラッシュさせ、コース状況は連鎖的に悪化していく。その中で、クラゴンの93号車は堅実に2位をキープしていた。SP4クラス1位を走るS2000との差は6周まで開いたものの、ひとつのミス、ひとつのトラブルで順位はいつでも入れ替わる。堂々たるトップ争いだ。

最後までトップ争いを続け、そしてついに表彰台へ

クラゴンがブレーキからの振動を訴えたため、バーナーに交代する際にブレーキパッドとローターを交換したが、それでもロスはわずか5分。その後もバーナー~フローリアン~ロッド~フローリアンと、淡々といっていいほど順調にレースが進む。

ゴールまで2時間。スタートの代わりに、ゴールはクラゴンが担当することになった。トップのS2000との差は12周に広がり、自力での逆転はない。ただ、3位とは6周差があり、ラスト2時間ではやはり逆転される可能性はない。しかしそれもゴールしての話であり、最終ドライバーの責任はスタート以上に重いのだ。重責を跳ね返すようにクラゴンはベストラップを連発!

再び振動の出はじめたブレーキをいたわりながら、11分15秒台から11分22秒台まで、5週連続でわずか7秒以内にタイムをそろえる安定したドライビングを見せた。

そして最終ラップ。通過するどの観客席でも、HONDAの赤いフラッグが振られる。そしてホーンが鳴る。

「KURAGON! Where are you now !?」

「Last Corner !!」 

25日午後3時02分31秒。スタートから117周目に、SP4クラス第2位のチェッカーを受けた。参戦4年目にしてクラゴンがついにニュル24hレースの表彰台へ! 日本から参戦した、ニッサン・Z、トヨタ・レクサス、スバル・インプレッサ、いずれも届かなかった表彰台に、クラゴンが到達した。

  • フレパーモータースポーツチーム
  • 準優勝トロフィーを掲げるフレパーモータースポーツチームの
    クラゴン(左)とチームメイトのバーナー(中)とロッド(右)。

クラゴンのコメント「世界一過酷なニュルブルクリンク24時間レースで結果を出せたのは、ゆるトレーニングを続けた成果」

クラゴン ついにやりました! 今年の初めからチーム体制作りを始め、時間もエネルギーも使いました。レースでは夕方から夜中、夜中から夜明け、そしてゴール、難しい時間帯ばかりを担当しました。レース前もレース中も、去年までとは比較にならない仕事量でした。準優勝は仕事に見合った結果だと思います。

この1年で、これだけの仕事量に耐えられるタフなドライバーになれたのは、ゆるトレーニングを指導していただいている、運動科学総合研究所様のおかげです。日本人とドイツ人とで英語を使う、お互いに難しい交渉の中で、相手に理解をしてもらえるように、しかしこちらの要望はしっかり通すというのは、精神的にスティフな状態では絶対に出来ないことです。また、スティントを重ねるごとに身体の調子が良くなって、マシンが一番消耗している最終スティントで、自然とベストラップが出てしまうほどでした。

1年ぶりの実戦、それもドイツで最もタフなニュルブルクリンク24時間レースで、この結果を出せたわけですから、ゆるトレーニングの効果をお分かりいただけることでしょう。

そして、競争力のあるマシンとペアドライバー達を準備してくれた、フレパーモータースポーツのマネージングディレクター、マニュエル・フレパー氏にも感謝です。フレパーの話が決まる前には、他のオファーもあって、しかもとてもいい話でしたが、フレパーモータースポーツを選んで正解でしたね。この選択がレース結果、ひいてはレーシングドライバーとしての人生に影響があるわけで、勝負のかかった二者択一でした。

ニュルブルクリンク24時間レースの準優勝は、ドライバーとしてたぶん一生自慢できる結果です。ニュルブルクリンクのシリーズ戦に出ているドライバーは、この24時間レースに出るのが夢だとも聞きます。この実績で、ドイツではもう「日本人のクラゴン」ではなくなりましたね。国籍も人種も関係なく「クラゴン」というカテゴリーができたような気がします。

  • フレパーモータースポーツチーム
  • フレパーモータースポーツチームのメンバー
    左からロッド、クラゴン、バーナー、フローリアン
    (真ん中の白い人形はミシュランタイヤのキャラクター「ミシュランマン」)

※9…スティント:耐久レースでは、ドライバー交代もしくはタイヤ交換、給油などのため、レース中にピットインを余儀なくされるが、そのピットインとピットインの間の走行時間のこと。

マネージングディレクター Manuel Fleper(マニュエル・フレパー)氏のコメント

マニュエル・フレパー氏 昨年、レース後にクラゴンが"1年目はコミュニケーションができればいい。でも来年は結果を出すぞ"と言っていたのを思い出します。その言葉の通り、ハイペースで安定した、プロフェッショナルなドライビングを見せてくれました。1年ぶりのニュルブルクリンクとは信じられません。

決勝は夜、雨、スリックタイヤのコンディションがファンタスティックでしたね。クラゴンに担当してもらって正解でした。無線が通じない状況でも、慌てずに完璧な仕事をしてくれました。チームに違和感なく溶け込んで、素晴らしい仕事をするので、地球の裏側から来ているのを忘れてしまうほどです。チームとしても、今後のレースに高いモチベーションを得られる結果でした。

チームとしてニュルブルクリンク24時間レース参戦15周年の年に、クラゴンというドライバーを迎え、準優勝を獲得したことを誇りに思います。


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Part4 クラゴンの軌跡

文:モータリングライター 藤田竜太

2005年

マシン:トヨタ・ヴィッツ

結果:A1クラス4位

ニュルブルクリンク挑戦の第一歩は、ニュルブルクリンクに遠征する日本チームのメンバーとしての参加だった。初参戦のチームならではの不備が次から次へと発生し、予備の部品すら準備されていないなど、一時は決勝レースへの出走さえ危ぶまれるほど、危機的な状況だった。そんな中クラゴンはチームのエースとして24時間のうち10時間を走行すると共に、レース戦略の立案も担当。初参戦ながらチームをA1クラスの4位に導いた。

2006年

マシン:スズキ・スイフト(当時の国内名は「カルタス」)

チーム:チョーニアモータースポーツ

結果:SP1クラス3位

1年目の結果から、2年目ですでにドイツチームとのジョイントを果たす。ただしこの段階ではまだ日本人チームのメンバーとしての参加であり、複数の日本人の中のひとりでしかなかった。1年目ほどの困難はなかったものの、予選の段階からトラブルが続発する厳しいレースとなる。決勝では波乱のスタート1周目で、クラスが上のマシンを次々に追い抜き、チームから「120馬力のマシンで160馬力のドライビングだ」と絶賛される。決勝もトラブルを乗り越えてクラス3位を獲得した。

2007年

マシン:ホンダ・シビック1.8スポルト

チーム:フレパーモータースポーツ

結果:V2クラスリタイヤ扱い

2006年の速さを認められ、ひとりだけ日本人チームからの移籍を果たす。日本人チームの一員としてではなく、ひとりのドライバーとして日本から単身参戦するのは前代未聞の出来事だった。初加入のチームながら、決勝では最も難しいスタートドライバーを担当し、周囲を驚かせるが、トラブルによる周回数不足により、チェッカーフラッグを受けながら完走扱いにはならなかった。しかし、現地人ドライバーを凌駕する速さを見せ、ドライバーとしてのパフォーマンスはアピールできた。

2008年

マシン:ホンダ・シビック2.2“スーパーシビック”

チーム:フレパーモータースポーツ

結果:SP4クラス準優勝

4年目にして初めて、同じチームのマシンに2度乗ることになった2008年。フレパーモータースポーツ(チーム)は、2007年のシビックのエンジンを1800cc→2200ccに換装して戦闘力を上げると共に、結果を出すために、外国人のクラゴンをチームのエースドライバーに起用。予備パーツの相談や他のドライバーの人選など協議を重ね、クラゴンのために作ったチームといっても過言ではない体制だった。クラゴンはその期待に見事答え、メルセデス・ベンツ、BMW、ボルボが参戦する激戦のSP4クラスで準優勝を獲得し、実力を結果で証明した。

  • スーパーシビック
  • 2008年フレパーモータースポーツチームのマシン:ホンダ・シビック2.2“スーパーシビック”

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