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ゆるトレ”で大学日本一監督「生の声」

【文中で紹介された本】

松井浩の特別インタビュー「鹿屋体育大学バスケ部 清水信行監督」

  • 清水信行監督
  • 清水信行監督[語り手]
  • 鹿屋体育大学准教授。筑波大学大学院修了。大学卒業後、筑波大学男女両チームのコーチを務め、全日本学生選手権大会優勝などの成績を収めた。平成3年から鹿屋体育大学男女両チームの監督として指導にあたる。平成17年度の日本女子学生選抜大会で初優勝、全日本学生選手権大会で準優勝。平成19年度には西日本学生選手権大会で優勝し、身長がさほど高くない地方のチームの躍進ぶりが注目を集めている。平成17年度のユニバシアード(トルコ・イズミル)からU-22日本代表チームの指導スタッフになり、平成18、19年度の日韓学生大会、ジョーンズ・カップ、ユニバシアード(タイ・バンコック)では監督を務める。大学チームの指導の傍ら、指導者講習会、ミニバス、中高生の指導を数多く受け持つ。
  • 松井浩
  • 松井浩[聞き手]
  • 早稲田大学第一文学部在学中から、フリーライターとして仕事を始め、1986年から3年間「週刊文春」記者。その後「Number」で連載を始めたのをきっかけに取材対象をスポーツ中心にする。テーマは「天才スポーツ選手とは、どんな人たちか」。著書は「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」(小学館文庫)「打撃の神様 榎本喜八伝」(講談社)等。高岡英夫との共著に「サッカー世界一になりたい人だけが読む本」「ワールドクラスになるためのサッカートレーニング」「サッカー日本代表が世界を制する日」(共にメディアファクトリー)がある。

“ゆるトレ”で大学日本一監督「生の声」 ~清水信行監督(1)~(2008.12.26 掲載)

――清水監督が「ゆるトレーニング」をお知りになったのは、いつ頃ですか。

清水 2000年3月頃のことです。

――その頃、鹿屋体育大学の女子バスケットボール部は、どんな状況だったんですか。

清水 僕が鹿屋に赴任したのは、それより約9年前の’91年10月のことでした。当時、国立の体育大学だというのに指導者がいなくて、練習は週3回でればよくて、1日2時間だけ。それなのにアルバイトと自動車教習所とデートが最優先で、バスケットは二の次というチームでした。成績も、九州でも勝ったり、負けたりでね。練習を週5回、1日3時間にしたら、それだけで選手とケンカになりました。
でも、筑波大から清水が来たというので、九州の有力高校の指導者が、すぐにレギュラークラスの選手を送ってくれるようになりました。これは、すごくありがたかったです。すると九州では負けなしになって、インカレ(全日本学生バスケットボール選手権大会)にも就任2年目には出場が当たり前になりました。3年目で1回戦に勝って、ベスト16まで行ったのかな。チームとしては、それなりの高校からいい選手が入ってくるようになって、自分が毎日練習を見て生活指導もしたことで、インカレ出場の常連チームにはなったんです。
でも、インカレでは、毎年ベスト16止まりでね。1回戦は勝つけど、ベスト8へは勝ち上がれないという状態が続いていました。

国立体育大学の人間として、ゆるトレーニングを知らずに一生終えるのは、大問題じゃないのか

――「ゆるトレーニング」をお知りになったのは、そんな頃だったんですね。

清水 『月刊バスケット』という雑誌に陸川章の記事が載っていたんですよ。

※陸川章は、80~90年代にかけて日本のバスケットボール界を代表する選手で、「ミスター・バスケット」と呼ばれた。30代半ばで引退寸前まで追い込まれたが、高岡英夫の下でゆるトレーニングを中心とした練習を積んで見事に復活。90%を超える驚異的なフリースローの決定率をマークし、「キング・オブ・フリースロー賞」にも輝いた。

 僕もバスケットボールをしていたから、陸川のことは知っていたし、素晴らしい選手だと思っていました。その記事では、陸川がガッツいっぱいで、頑張るぞうと力を入れる選手だったのが、立ちゆる(基本ゆる=立ったままゆる体操をする)と専門的なトレーニングで心身ともにゆるんで、柔らかなプレーができるようになったと書いてあった。これが、もし本当なら、国立体育大学の助教授として雇ってもらっている人間として、これを知らずに一生終えるのは、大問題じゃないのかと思ったんですね。
だけど、その一方で、人が地球に乗っているイラストが描かれて、地球の中心に乗っているって解説してあって、そんなことがあるのかよとも思いましたね。それに、リングから放物線を引いてきてシュートしたら驚異的なフリースローの決定率をマークしたって書いてあった。「そんなのでシュートが入ったら、たまんねぇよな」とも思いましたよ。だから、自己暗示みたいなものかなと思ったりもしたんです。でも、陸川が復活したというのは事実でしょ。それで、まあ、騙されたと思って、一度話を聞いてみようと思ったんです。で、どこで教えてくれるんだと調べたら、東京の御茶ノ水って書いてあって。「そりゃ、無理だ」と。鹿屋(鹿児島県)から御茶ノ水まで通うことはできない。「ああ、縁がなかったと思って終わりにしよう」と思ったんです。

――でも、縁があったんですね。

清水 それから約1ヵ月半後に、極意初級の第一教程と第二教程の講座が、福岡で3日間連続であると知ったんですよ。福岡だったら、何とか行けるなあと。とりあえず、自分一人で受講してみようと思いました。体験して、「こりゃ、ダメだ」と思えば、それで終わればいいんでね。でも、体験もしないまま縁を切って、年を取った時に「あの時に話だけでも聞いておけばなあ」と後悔したら嫌だと思ったんですよ。すでに結婚していたから、家内には上手に説明しなきゃなあと思いましたけど。(笑い)

訳分からず習いながらも、「密度が濃い」、「こんな動きができれば、バスケットで役立つなあ」と思った

――それで、実際に参加されてみてどうでしたか。

清水 その時、高岡先生は講座の最初に来て、面白い話と杖の演舞を見せてくれただけで、実際の指導は若い指導員の方でした。正直なところ、訳がわからず習っていたんですけど、習いながら「密度が濃いなあ」とか、「確かにこんな動きができれば、バスケットで役に立つなあ」と思っていました。
強烈な印象が残っているのは、ホテルに帰ってからのことですね。講座の最後に、「脳疲労を起こしているから、復習はしないでゆっくり休んでください」と言われていたんです。だから、復習より飲みに行く方がいいのかなと思って、博多の中洲に馴染みの店があるから、シャワーを浴びて出掛ける準備をしました。だけど、店までは我慢ができないので、ホテルの冷蔵庫にある缶ビールを1本だけ飲んだんです。9時頃かなあ。ふと気づいたら、明け方でした。椅子に座ったまま寝ちゃってたんですよ。そんなに疲れていたのかと、これには驚きました。

――筋繊維は1本1本脳細胞とつながっていて、運動科学総合研究所の極意講座を受けると、普段あまり使えていない筋肉をしっかりと使うので、それだけ脳疲労を起こすということです。それだけ密度が濃く、奥深い講座を受けられたということですね。
その後、大学へ戻って選手たちに指導されたと思いますが、反応はどうでした?

清水 「おれの言うとおりにやってみろ」と言って、選手たちにゆる体操をさせてみたんだけど、「何、それ、そんなので強くなるの」っていう反応でしたね。まあ、僕も、まだ頭でも、体でも理解していなくて、バスケットとどうつながっていくのか分かっていなかった。だから、自分で引っ張っていくのは無理だなあと思ったんですね。ただ、自分が長距離をドライブすると肩が凝ったし、試合中に選手がミスすると、ギューッと背中が硬くなるのがわかっていたので、そういうことが改善されるだけでも、自分にとってはプラスだなあとも思いました。 でもね、そうは思っても、体の感覚としては、「ゆるむ」というのは、何かすごいぞと感じているんですよ。だから、選手たちにも、心身ともにゆるんでほしいなという思いがありました。
それで調べてみたら、ゆる体操の出張指導というのがあったので、頼んだんです。2人の指導員の方に鹿屋まで来てもらって、立ちゆるとゆるゆる棒(センターを作るためのトレーニンググッズ)、ほどゆる歩き(歩けば歩くほどゆるむをテーマとして、歩きながら体をゆるめていくゆるトレーニングの一種)を指導してもらった。そしたら、女子選手が、ほどゆる歩きで盛り上がっちゃったんですよ。人によって、これほどゆるみ方に違いがあるのか、と。「あんた、ゆるんでないわよ」とか言い出して、これだったら行けるかなと思いました。その時、ゆるゆる棒を購入しました。やっぱり、トレーニンググッズがあると落ち着くんですよね。

ゆるトレーニング半年余りで、8年間超えられなかったベスト8の壁をあっさり突破

――それ以来、練習にゆるトレーニングを取り入れられたんですね。

清水 取り入れたといっても、バスケットの練習時間を削りたくないという気持ちもありました。それで、毎日、練習前にゆる体操を10分ぐらいと、ゆるゆる棒に2分乗るだけです。で、10日に1度ぐらいの割で、17分のゆる体操を高岡先生のテープに合わせてしていました。

――それは、いつ頃ですか。

清水 5月中旬のことです。

――インカレの7ヵ月前のことですね。7ヵ月間、ゆるトレーニングの成果はどうでしたか。

清水 その年のインカレでは、ベスト8をかけた戦いが優勝候補の専修大学だったんです。うちの選手たちは、身長も高くないし、身体能力に恵まれているわけでもない。一方、その年の専修大学は長身揃いで、身体能力も高かった。普通に考えれば、まともに戦って勝てる相手ではないですよ。で、そのインカレの大会中、高岡先生から「何か協力しましょう」と声をかけて頂きました。それで、1回戦に勝った直後、先生の事務所へお伺いして達人調整を受けることになったんですね。

※達人調整とは、身体開発、身体意識の鍛錬に取り組んでいる人のために高岡が専門的に体系化した身体調整法(身体で直接相手の身体と触れ合って、相手の身体や心の状態を良い方向に変える方法)のこと。従来の身体調整法が持つ「受け手の身体や心の状態を良い方向に変えるために、施し手が気力体力を費やし、その分疲労してしまう」という問題点を克服し、「受け手の状態が良くなると同時に施し手も良くなる、時には受け手が良くなる以上に自分が良くなる」ように設計された画期的方法。運動科学総合研究所の人気講座として専門家の注目を集めている。

清水 その翌日が専修大学との対戦だったので、達人調整は即効性があるから受けるといいですよというお話でした。また、自分の身体がこんなになるということをわかればいいですよということで、先生のところの指導員の方たちにレギュラー選手は1人1時間以上、控えは約40分調整してもらいました。そしたら、そこに2時間ほどいて、皆ニコニコニコニコになっちゃって「先生、もう1試合できますよ」なんて言っている。すげぇなあと思いましたね。
その心身ともゆるんだ状態のまま、専修大学戦に臨んだら、なんと6点差で勝っちゃった。大金星で、初めてベスト8にも入った。ゆるトレーニングに取り組んでから半年余りで、あれだけ苦労していたベスト8の壁をあっさり越えちゃったわけですよ。そしたら、「ゆる」って本当にすごいんだぁと、3年生以下の取り組みが真剣になってきましてね。さらに熱心にゆるトレーニングに取り組んだ結果、‘05年の選抜大会で、関東や関西の強豪を押しのけて初めて大学日本一になったんです。

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